●ふざけんな!
―――といいたくなるぐらい、
暑い日でした。
たまたま出勤してましたけど、東京ほぼ28度。
わお。
もちろん観測史上もっとも
暑い11月でした。
ι(´Д`υ)アツィー
もわんと蒸し暑くって、梅
雨かよ? って(笑)。
アタマオカシイ。
うっっすいコットンの半そでシャツと、夏用ジャージ。
※黒いので仕事用パンツに見えなくもない、そういうやつ。
8月とまったく同じ格好です。
おかしーだろー。
( ;∀;)
とんでもねえな。
ちなみに>>
朝はやっぱり、でした。
暴風
雨に
薔薇の鉢がひとつ、なぎ倒されてた。
ごめんよごめんよ。
( ;∀;)
夜、
薔薇の株がひとつめちゃくちゃになって、泣きながら植え替えた。
・・・っていう夢を見たのです(爆)。
庭の花たちの心配をして、その夢まで見るなんて我ながらびっくり。
呆れた。
( ;∀;)
●ふと
思ったけど、あれだ。
“不安”感じる人が増えています なぜいま自身がわりとずぼらで、鈍感で、どちらかといえば楽観的でも。
近くにいる人、友人や同僚、家族の不安ってうつりますよね。
不安や恐怖は、どういうわけか伝染する。
うつる、というのが適切な表現なのかわからないけど。
|||(-_-;)||||||
自称、わりといい加減な人間です。
ものごとを突き詰めて、真剣に考えるのはあんまり得意ではない。
というより、なんというか。
未来に何が起きるかわからないのに、今から心配してもしょうがない。
そのときはそのとき、みたいなタイプです(汗)。
行き当たりばったり。
出たとこ勝負のトラブル先送り系。
―――ですね。
すみません。
( ;∀;)
慎重で生真面目なひとからは嫌われるけど、でも。
生来そういう性質なので、矯正して治るものではない・・・と思う。
もちろん、できることはします。
もし都心で巨大地震が起きたら? みたいな例でいうと、準備はします。
非常の際にどうするか、ひと通りは考えます。
具体的に、事前に備えられることはやる。
でも、本音をいうとね。
どんなに備えたところで、その時にならないと何もわからない。
準備しようがない、とも思ってるのね。
被災するのかしないのか、どのぐらいケガをするのかしないのか。
家財をぜんぶ失うのか、家を追われてしまうのか。
その瞬間どこにいて、家族はどこにいるのか。
死ぬのか生きるのかも、当然わからない。
事前にあれこれ決めておいたって、なんの役に立たないかもしれない。
ですよね。
保険をかけておけば、非常用持ち出し荷物をそろえておけば安心なのか?
っていうと、なんの保証もないよなあ。
―――というあたりで、思考は止まる。
あとは運だよね、になっちゃう。
過度の恐怖も不安も役に立たない。
そのへんで心配すること自体を放棄してしまうのが、実情です。
(((((((;´д`)))))))
それぐらいちゃらんぽらんなわたしだけど、それでも。
身近にいる人間の不安は、どういうわけかうつる。
・・・気がする。
あちこちで起きる自然災害や、終わりの見えない戦争。
そういうものに強い不安を感じる人間がね、いるんだよそばに。
漠然とした、でもつよい不安。
聞いていると、影響を受けてしまうんでしょうね。
「われわれが心配しても、どうにもならなくない?」
異議を唱えはしますが、完全にバリアをはるのはむずかしい。
他人の不安に引きずり込まれそうで、それは非常にイヤです。
イヤな感じです。
実際に世の中、いやなことばっかりだもんね。
でも、あれです。
不安感がつよくて慎重すぎるような人間って、ね?
日本みたいに自然災害が多い国では、適応的なタイプらしいです。
楽天的でなんとかなるっしょ、みたいなタイプは大災害で生き残れない(汗)。
遺伝子を残せない、といいかえてもいい。
ゆえに歴史の中で徐々に自然淘汰されて、減っていった・・・とか。
どっかの脳科学者がいってました。
不安感の強いタイプは、つまり、しっかりした生存戦略を持ってるのかもしれない。
ポジティブに考えてもいいのかも。
日常生活に支障が出ない限りは、それでいいのかも。
( ;∀;)
うぐぐ。
では、またね。。。