●完敗
じゃなくて、完売でした・・・(笑)。
「坂東玉三郎特別公演」発売直後に完売!ええ、発売開始から1時間ほどして、ようやくチケットWeb松竹に繋がったと思ったら、案の定もう「完売」の文字。
公演数が少ないので予想してはいましたけど、こんなに箸にも棒にもかからずに惨敗したのは、ここ数年では初めてかも(苦笑)。
「お、遅かりし由良之助・・・!」(意味不明)
巷のエンタメニュースを読む限り、チケットが30分で完売した玉さま人気の凄さに驚いているようですが、そりゃアナタ、あったりまえですって!(笑)
今や押しも押されぬ立女形、歌舞伎界を背負って立つ最高峰の役者のひとりですよ?
それも実力だけじゃなくて、他の追随を許さない圧倒的な集客力を誇るお人ですよ?
(申し訳ないけど、海老ちゃんとは格が違います。お相撲に喩えれば、玉三郎がベテラン横綱、海老蔵は新進気鋭の前頭筆頭・・・って感じ?)
その玉三郎を東京で(いや、東京じゃなくても同じだけどね)見られるのって、年に何回あると?
おまけに阿古屋ですよ、阿古屋!(笑)
(おっと、このおバカなPCでもこの名前、一発変換できるんですね。さ、さすがだ~!)
傾城の豪華な衣装を着て(=すこぶる動きにくい)、舞台の上で三味線、琴、胡弓を実際に演奏しなくちゃならない・・・というのもありますが、複雑な感情表現が求められる難易度の高い役。
現在の歌舞伎界では、これを演じられるのは玉三郎しかいない、ってのが通説です(笑)。
いくら人気の役だって毎年やってくれるわけじゃないし、玉三郎の憂いを含んだ美貌だって、考えたくないけど永遠ではないでしょう(すでに驚異的に長い間、その美しさは維持されてるけどね)。
となると今、観なくてどうするんだ!
二度と見られない可能性だってあるのに!
・・・ってわけで、ええ(笑)。
別に海老蔵騒動があってもなくても関係なく、これはファン垂涎のプラチナ・チケットなんです。
そりゃ、一般発売と同時に完売ってのも当然ですって。
(もちろんそれが見込めるからこそ、松竹も玉三郎に代打を頼んだわけだし、絶対に売れてくれなくちゃ困るからこそ、出し物に「阿古屋」が選ばれたのだと思います。)
ああ、こうやって書けば書くほど、チケット取れなかったのが残念だなあ。
あとは、当日券狙い・・・?(笑)
ところで>>
女形・玉三郎の“男気”海老蔵の代替公演この記事には、思わずにっこりしちゃいました。
緊急の代替公演の打診を受けて、二つ返事で「お引き受けしましょう」と頷いた姐さん、じゃなくて天下の玉三郎に感動した松竹の社長が、
「男気に・・・いや、玉三郎さんに男気ってのもアレですが」
と称えたというくだり、実に正直で、なんとも可笑しすぎる・・・(笑)。
●ごめん、どうしてもダメなんだ
・・・と思うもの。
ええ、いわゆる年寄りグチのひとつ、「昨今の日本語の乱れ」っていうヤツです(笑)。
偉そうに正しい日本語のあり方を語ろうとするわたし自身、ブログではけっこうテキトーな言葉づかいをしていますので、まったくもって自分勝手なんですけど(苦笑)。
でも、ダメなのよ~。
「1万円からお預かりいたしまーす」
「ミルクとお砂糖はよろしかったですかー?」
「こちらが商品のほうになりまーす」
はい、いいですか?(笑)
以上の三つ、全部どう考えてもおかしいと思いますが、こういうのですら最近は耳が慣れてしまって(なんて恐ろしい!)、大して憤慨しなくなっているんです。
自分では決して使わないし、「言葉は時代とともに変わっていくものさ(ふっ)」なんて寛大にはなれませんが、なんかもうね、聞くたびに腹を立てるのもこの頃、バカバカしくなっちゃって。
寛大というか・・・諦めちゃった、という感じ?(笑)
そんなわたしですが、それでも何としてもダメなのは、最近やたらと聞くようになったアレです。
本当に、ダメなんです(笑)。
「させていただく」
「・・・する自分がいます」
という、この二つ!
(ほかにも気になる表現はいくらでもありますが、今回のターゲットはこいつらです。)
「させていただく」は、あまり日本語の素養のない政治家が、謙譲語のつもりで使うイメージがあるんですが、最近ホントに、どこでも聞くようになりました。
言ってる本人は、謙虚に、万能の敬語の感覚で使ってるんだろうと思いますが、誤用があまりにも多すぎて、ときどきわたし自身、混乱しそうになります(笑)。
どういう使い方が正しいかは、あっさり省略。
いろいろな書籍や記事で専門家が説明してくれていますので(ネットでも検索できます)、わたしなんぞが口を挟むことではないと思います。
でも、さ~。
「ご注文の商品を発送させていただきました」
なんてメールが通販サイトから来ると、がっくりしますって(笑)。
わたしの注文と支払いに対して、商品を届ける手続きをするのは向こうなんだから、まるでわたしの発送「許可」が要るみたいな表現は変でしょう?(笑)
「わたしじゃなくて、アンタの責任で発送するんだろうが! なんで素直に、発送いたしましたって言えないワケ?」
なんて意地悪なお局みたいなこと、考えちゃう自分もイヤだよなあ(汗)。
「このような訳で、ふつつかながら私はこの度、××議会に立候補させていただき・・・」
ってのも、どうも変だと思っています。
選挙に立候補するのに、街頭演説の聞き手の許可は要らないんじゃないのって思うからですが、何度も聞いているとそのうち、自分でもよく分からなくなって来ます(苦笑)。
本来「させて」という部分には、相手の許可が要るというニュアンスが含まれるわけだけど、たとえば歌舞伎役者が、
「未熟者ではございますが、この度××をつとめさせていただきます」
なんて挨拶する場合、どうなんでしょう?
目の肥えた、名優がかつてその役を演じるのを見て来たファンの許しというか、支持を頂いてこの大役を演じます・・・って意味なのか、単なる丁寧な、へりくだった慣用表現なのか、わたしにはわかりません。
自信がないというか、ボーダーラインみたいなケースもあるってことかも?
その点、「私がいます」は単純明快!
単純明快にヘン!(笑)
自分がしたこと、感じたことだというのに、妙に客観的に、まるで第三者の言動みたいに描写するのが、どうにもムズムズします(笑)。
あくまで個人的な感想かもしれませんが、冷静に自分を見つめているというより、どこか他人事みたいで、無責任にすら感じてしまうのね。
「どうしても彼に対して構えてしまい、素直になれない自分がいます」
って、ポエムじゃないんだから!(笑)
「自分のことでしょ? 素直になれないんですって、なんで素直に言えないかなあ」
って・・・イジワルですね、わたし。
あ、そっか!(笑)
今、ここまで書いて気づきました。
「させていただく」も「自分がいます」も、どこか遠回しで、責任回避的なんですね。
いかにも英語的でストレートな、「私は・・・する/したい/こう思う」という直接的な表現を嫌って、主体をあいまいにとどめ、自分の要求を一歩引いたカタチで示したいということかしら。
婉曲というより無責任のようにも思うし、ある意味、「察して」カルチャーの為せるワザ?
単に日本人らしいだけ?
こう考えると、この手の言い回しが流行るのにも時代性というか、それなりの理由があるのかもしれませんね。