う~・・・。
最近「小説の書き方」について聞かれることが、とみに多いです。いや、マジで。
自慢じゃないけど、そ、そんなもの、教えられるような立場にいないと思うんですけど・・・。
でも、アレですね(笑)。書き方、なんておこがましいものじゃなくて、「テク」の話なら、ちょっとはできるかもしれません。
もの書きの素質・文章のセンスは天賦の才だけど、その素質やセンスを上手に生かして、より効果的に表現するにはテクニックが要る・・・というのが、わたしの持論です。
天賦の才は、神様からの賜りものです。人に教わったり、努力して習得したりするものじゃ、ないけれど。テクはね、勉強して上達することができますから(笑)。
そう、テクはあったほうがいい♪
・・・というわけで、ちょっとだけ、小説を書く上で基本中の基本となるテクを、ご紹介します。テクっていうより、あまりに基礎的すぎて、むしろ「常識」の範疇かもしれません(苦笑)。
●文体の基礎の基礎
あんまり基本すぎて涙が出ますが、まずは、「ですます」「だ・である」を混在させるのはやめましょう(笑)。どういう文体を使うかは、もちろん個人の自由です。でも統一されていないものは、とっても見苦しいです。
●助詞のイロハ
「てにをは」は、正しく使いましょう。小学生の文法です。
もっとも、「正しく」はさておき、これを「効果的に」使うのは、案外難しいです(笑)。
/例1/
岩城さんが、俺を見つけてふわりと笑った。
岩城さんは、俺を見つけてふわりと笑った。
どっちも正しい用法ですけど。でも、「が」と「は」を入れ替えるだけで、ずいぶんニュアンスが変わりますよね。これ、正しく使い分けないと妙なことになります(笑)。
/例2/
深紅の薔薇のような、美しい人。
深紅の薔薇のように、美しい人。
助詞っていうより、これは形容詞(上)と副詞(下)の使い分けですね~。上の例では「深紅の薔薇のような」は「人」を修飾してます。下の例文では、「深紅の薔薇のように」という喩えは、「美しい」にかかってるんですね。
どっちもアリですので、時と場合によって使い分ければいいんですね。
●主語のヒミツ
/例/
岩城さんにぐいっと手を引かれて、俺たちはその部屋に入った。
さて、この文章は間違ってます(笑)。意味は通じるのでさらっと読んじゃうかもしれませんが、よ~く見ると、前半の文章の主語は「俺」(=香藤くん)、後半の主語は(書いてあるとおり)「俺たち」ですよね。
ひとつの文章の中で、こういう風に主語が変わるときは、主語はそれぞれ明記しないといけません。いや、このくらい簡単な文章なら、まあ、わかるかもしれませんけど。長い文章、難解な文章のときは、読者の混乱のもとになります。
じゃあ、上記の文章をどう訂正したらいいのか?・・・っていうと。答えはカンタン♪ 「たち」を削除すればいいんです。手を引かれて歩くわけだから、ふたり一緒にいるのはわかりますよね。だから、「俺たち」って言わなくても、「俺」で十分意味は通じるはずです(笑)。
これに限らず、春抱きSSを読んでいると、作者だけが動作の主体(=主語)をわかった気になってるのって、けっこう目についちゃいます。これはわたしが、主語を明記しないと文章が成立しない!英語で暮らしてるせいかも、しれません。
内容からみて、誰が主体なのか想像できるSSもありますけど、わからない場合も案外あります・・・。主語が香藤くんから岩城さんに移行してるのに、そう書いてなくって、「おいおい、これじゃあ喘いでるのは香藤くんみたいだよ~!」と、無駄にあせることもあります(笑)。
主語抜きは日本語の特徴ですが、やりすぎると、不明瞭な小説になっちゃう。それは、困りますよね。
※なんだか長いので(爆)、あとは続きを・・・。
●視点という魔物(笑)
さて、小説を書く際に最初に決めないといけないのが、人称です。誰の視点で書くか、誰を語り手にするか・・・ってことですね。
人称の基本原則☆は、一度決めたら最後までそれで統一する!・・・です。これを徹底させるだけで、文章はぐん!と読みやすくなります。
途中で視点が変わる(=視点がブレる)のは、テクとしてはもちろんあり得ますが、ふつうは不自然なので、使いこなせないと、かなり苦労するんじゃないかな。視点のブレは、読者を混乱させる最大の原因でもあります。
/一人称/
岩城さんや香藤くんの「俺」視点で書くことです。視点=語り手に設定した人物の目を借りて、その人の観点から話をするので、視点がブレるってあり得ないはず(笑)。素人さんには、いちばん書きやすいんじゃないかな。
なかなか心情を言葉にしてくれない岩城さんの思いや、香藤くんの果てしなく恥ずかしいらぶらぶ☆えろ妄想を描くなら、一人称がいちばんでしょうね~(笑)。
ただし、「語り手の目を借りる」以上、その人がいない場所で起きたことを描写するのには、イマイチ向きません。どうしても間接的な伝聞手法になるので、限界があるんですね。
一人称を成功させる秘訣など、ないわけではないですが・・・あうう、それはまた、別の機会に。
/二人称/
「あなた」「おまえ」視点のSSって、論理的には可能ですが。まず、無理でしょうねえ(笑)。・・・というわけで、割愛します。
/三人称/
「岩城が」「香藤が」・・・と書けば、それで三人称になってると勘違い、してませんか?(笑)
ひとくちに三人称と言っても、岩城さん寄り、香藤くん寄り、それから完全三人称(=神の視点)など、バラエティがあります。
「岩城さん寄り」「香藤くん寄り」ってのは、もちろん視点の中心をどこに置くかにあります。三人称で書いていても、どっちかの感情をより一人称的に描写する方法・・・のことです。
例を挙げましょう(笑)。拙作「希求」から。
***
勧められるままに、岩城はずいぶん甘い酒を飲んでいた。
とろりと口当たりのいい、サンブーカやグラッパ。
飲みすぎたのかもしれない、と岩城は思った。
そう思った心を読んだように、香藤が戸惑った声を出した。
「飲みすぎるほど、飲んでないはずだけど・・・」
「・・・岩城くん、寝てないんじゃないの?」
「それは、ありますね」
頭上で交わされる会話を、岩城は朦朧と聞いた。
全身が重たい感じで、下半身に力が入らない。
喉がひりつく。
岩城がそう言おうとしたのを、香藤が制した。
「いいよ、しゃべらなくて。のど、痛いんでしょう」
ひんやりしたグラスが、唇に当てられた。
***
確かに三人称ですが、「思った」「重たい感じ」「ひりつく」など、本人でなければわからない状態・感覚の描写はすべて、岩城さん視点ですよね。この文章はだから、岩城さん寄りの三人称なんです。
原則的には、誰かひとりのキャラ寄りに視点を決めたら、それ以外のキャラの感情・心理は書かない・・・ほうがいいです。そういうときは、「・・・考えているようだった」「・・・痛そうだった」とかね、視点に決めたキャラに、推察させるんですね。
※これは、なかなか守れるもんじゃないです(笑)。だから、読者の感情移入を助け、混乱を避けるために、せめて同段落内では視点を変えないとか、多少のルール決めが必要じゃないかと思います。
ちなみに、神の視点・・・ですが。
誰にも近づかず(笑)、感情描写をミニマムにして、淡々と天井から観察してるような感じ・・・でしょうかねえ。延々と長~い大河ドラマなら、ありですが。これもなかなか、使いづらいんじゃないでしょうか。
と、勝手なことを延々と書きましたが(笑)。
もちろんこれは、わたしなりのこだわりっていう程度です。こうしなきゃいけないというルールではありません。
少しでも、何かの参考になれば、いいのですが・・・。