●ものすごく久々に
字書きのたわごとです(笑)。
ちょっと以前にご質問をいただいたのが、小説を書く際に「読者を信頼する」って、どういうことですか、というもの。
ああ、そっか・・・わたし、サイトのどこかで、そういうことを偉そうに書いていますよね(笑)。自分では、ずいぶん前に書いたことなので、あまり気に留めてもいなかったのですが。・・・文字通り、なんですけど。でも抽象的なのはホントなので、ここでは、それについて思ったことを書いてみますね。
※いつものことですが、これはあくまで、とあるヘタレほもえろ字書きの私見ですから。だから、「そういう考えかたもあるのか~」程度に、さらっと読んでくださいね。
●書くべきことと、書かなくていいこと
まずは、わかりやすい例から。たとえば、こんな文章があったとします。
「そうか・・・」
深いため息とともに、岩城は小さくうつむいた。
青白い頬に、影が落ちる。
岩城は眉間にしわを寄せて、足元を見つめた。
冷たい花冷えの驟雨が、強張った肩を濡らしていた。
・・・うわあ、我ながら、すばらしくクサイ文章(笑)。
さて、この文章の要旨はつまり、「なんかあんまりハッピーじゃないことが起きて、岩城さんは失望しているらしい」です。・・・よね?
別におかしくはない構成ですが、それだけのことを言いたいわりには、これはけっこうしつこい!です(笑)。よく、見てみましょう・・・「ため息」「うつむく」「青白い」「影」「眉間のしわ」「足元」「冷たい」「花冷え」「雨」「強張った」・・・と、これでもか!ってくらい、陰鬱なイメージを連想させるキーワードが詰め込まれてますよね。
場合によってはもちろん、こんなふうに、似たようなイメージを想起させるアイテムをてんこ盛りにして、わざと、そのシチュエーションを強調する必要も、ありますけど。そういうのって、文章を書くテクのひとつでは、あるんですけど。
・・・でもこれは、どう見てもやりすぎです(笑)。もっとすっきりさせても、読者は十分に、作者の伝えたいことを受け取ってくれるはずです。
というわけで、こんなふうにカットしてみます>>
「そうか・・・」
深いため息とともに、岩城は小さくうつむいた。
眉間にしわを寄せる彼の肩を、冷たい雨が濡らしていた。
・・・しかし、ホントにたいした文章じゃないな(苦笑)。
ま、それはともかく、こうやって文章をちょっと切り貼りして短くしても、良くない/うれしくないことが起こったらしい、というキーメッセージは伝わると思います。「青白い」「影」「花冷え」などという、ちょっと雰囲気のあるコトバをカットしちゃったのは残念ですが(笑)、このほうが、平易でわかりやすく、何より次の文章に進んでいくのに、テンポが保てる気がします。
(もちろん、たとえば「青白い影」を残して、かわりに「眉間のしわ」を削除するとか。そ~いうのは、作家さんの自由・・・っていうか、腕次第でなんとでも、調理できると思いますよ。)
そう、文章を書くときに、思いつくかぎりのカッコイイことばを並べるのはやめましょう(笑)。それってすっごく、逆効果です。
いっぱい似たようなイメージの言葉を使うと、しつこいし、ポイントがぼやけちゃうし、文章を読むスピードが落ちてしまいます。・・・これって、お話をつまらなくするいちばんの原因なんですね。
(と、自戒をこめて。自分の文章が、修辞語を多用する傾向があるのは、わかってるんですけど・・・!)
●簡潔な
文章のほうが、インパクトがある。
これはもう、不偏の真理なんですけど。でも、簡潔にすぎても、読者さんに作家さんの意図が伝わりません。読者さんにだってちゃんと想像力があって、自分でそれなりにイメージを補って読んでくれるんですけど。でも、それに頼ってばかりでもいけないんですね。
先ほどの文章に、戻りましょう(←ちょっと自虐的?)。
「そうか・・・」
深いため息とともに、岩城は小さくうつむいた。
さて、さっきよりさらに短くしてみました(笑)。今までよりずっと、陰鬱なキーワードが減ってますよね。読者がイメージを膨らませるためのアイテムは、「ため息」と「うつむく」だけ。
それでもおそらく、本来意図したメッセージは伝わると思いますが、さて。今度は、ひょっとしたら、予想外のイメージを感じ取る人が出てくるかもしれません。
これはもちろん、コンテクスト(前後の脈絡)によるんですけど。岩城さんは、もしかしてずっと心配してたことがあって、その懸念が晴れたから、ほっとため息をついたのかもしれませんよね。
ため息をついてうつむく・・・って、ふつうはネガティヴなイメージの行動だけど、でも、そうとは限りません(笑)。岩城さんのキャラなら、たとえば安心したときや、照れ隠しなんかでも、そ~いう態度を取ってもおかしくないでしょう?
わたしの例はイマイチですけど、要するに。
簡略化したせいで、意味が通じなくなってしまうこともあるってことです。そうなるともう、読者を信頼するというより、読者の豊かなイマジネーションに依存する・・・って感じかな。それは、字書きとしては、あまり誉められたことじゃないですね・・・(くうう)。
●そういうわけで
わたしの場合、「これは書き込みすぎなのか、それとも書き込み不足なのか」って、常に自問しながら書いています。
もちろん、「このくらいのレベルが適当である」という「正答」はありません。個人差もあるし、ひとつの小説の中でも、さらっと流すところと微細に書き連ねるところと、緩急をつけるものですしね。
ちなみに、えっち描写はどうしても延々と描写しますが、これは、読者の心理が通常と違うからだというのが、わたしの持論です(笑)。
ことベッドシーンに関しては、たいていの読者さんは、セックスを「見たい」ものなんだと、わたしは思ってます。えっちしてるって事実がわかればいいんじゃなくて、おふたりの一挙手一投足、交わされる会話も岩城さんのあえぎも、できればなるべく臨場感をもって、手に取るように「見たい」・・・ものじゃないかな(笑)。
要するに、覗き見趣味(爆)。それだけに、えろシーンは「読者を信頼」云々は度外視して、ひたすら、赤裸々に書いてます・・・。
これって、ほもえろ字書きの言い訳?(笑)
●前述のとおり
閑話休題。
わたしは、どちらかというと修飾過多の悪癖があるので、推敲はたいてい、「これは多すぎ」「ここもくどい」「同じことリピートしてるだけ」・・・って、表現を削っていく作業になりがち(笑)。
「こんなに書き込まなくても、読者さんはわかるってば!」
「うう、でも、せっかくいい表現を思いついたのに~」
と、ひとりで漫才のような自問自答を繰り返してます(笑)。「ほどほど」を達成する難しさ・・・っていうか。遠い虹の彼方にあるに違いない、「理想の描写バランス」を求めて、日々精進するのでした・・・あはは。
例によって御託を並べました。最後まで読んでくださって、ありがとうございます。