●TBお題から・・・
「癒されることってなんですか?」>>
意外と悩んだ、この回答(笑)。わたしにとって岩城さん、というか『春抱き』は、生命の喜びの源泉でこそあれ、必ずしも癒しではないような気がしますの(苦笑)。だってほら、全身全霊で愛する対象なので、とってもリラックスしてのんびり、とは行かないのですよ。。。
というわけで、「癒し」はデジタル画像の加工、あるいは目的のないネット・サーフィンかも(爆)。いや、それじゃいくらなんでもオタクすぎるので、ど、読書・・・(しどろもどろ)? いやいや、グランド・ピアノを弾くことかな・・・?(汗)
自分は癒しをイマイチ求めてはいない、という事実に、ちょっと愕然としてます(苦笑)。
「心に残った漫画のセリフは?」>>
えっとですね、これも強引ですが、『春抱き』関連はすべて除外します(苦笑)。ご存知のとおり、とにかく印象に残る名セリフが多すぎて、とてもじゃないけど絞れない、1日や2日では語れませんものね。(万が一、わたしの好きなセリフがものすご~く気になる方は、サイトのプロフィールの項目に、好きなセリフを延々と載せていますので、どうぞご覧ください。・・・といっても、しばらく更新してませんが。。。)
というわけで、まずは小学生の頃(爆)に読んだ、今ではタイトルも作家さんも覚えていない、ゆきずりのマンガのセリフからご紹介します(苦笑)。
「お父さんの言うことは正しいわ! 正しいけど、わかってない!!」
・・・なんじゃ、こりゃ(笑)。(記憶のみで書いているので、正確な引用ではないと思います。)
ご想像がつくかと思いますが、少女が自分のやりたいこと(たぶん恋愛だね)を親に止められ、叱られたときに、父親に反発して叫んだセリフです。これ、中学生・高校生の頃のわたしの、なんとなく座右の銘だった気が(笑)。
自我がむくむくと芽生える成長期(反抗期だとは思ってないんですが、実際はそうかも)、理屈や常識や知識ではとうていオトナに敵わなくて、だから簡単に論破されちゃったり、冷静に間違いを指摘されちゃったり。自分のコドモっぽさというか、非力さが悔しくて悔しくて、「親はわかってくれない!」で頭がいっぱいになっちゃったことって、ありませんか?(笑)
今から思えば、それすら甘酸っぱい記憶なんですけどね~。
「愛情にあふれてはいるけどコワイ父親」を持っていたわたしは、「お父さんは正しいけど、わたしのことわかってない!」って・・・いや、結局、一度も言ってません(苦笑)。どうしても言えなかったですね、あはは。でも、というかだからこそ、心の中で何度、このセリフを反芻したことか。。。
もひとつ、心に残ったと言えばコレ。
行くなと・・・
女みたいに泣いてすがって 言える性格なら
もう・・・
ばかばかしくて
とっくに鷹塔摩利なんて やってないよなあ・・・
(今度はちゃんと引用しました。。。「摩利と新吾」12巻より)
お話を知らない方には、まったくのハニワくんだと思いますが、これはドイツ貴族の血を引くハーフの美貌の青年(←いやだから、お耽美な少女マンガなんです)が、幼少のころからずっと愛し続けた親友を見送るときのモノローグです。
ときは20世紀初頭、場所は激動のヨーロッパ。恋人になってほしかった親友(ふたりして日本から留学に来てる)は、セルビアの美女と大恋愛をして、彼女と共に自分のもとを去っていってしまう。もしかしたら、もう一生会えなくなってしまうかもしれない・・・そんな緊迫した場面です。失恋の瞬間、といってもいいかも。
ええかっこしい、と言ってしまえばそれまでですが(笑)。ここで矜持とプライドと、去っていく親友の幸福を願う気持ちに引き裂かれつつ、ギリギリで踏みとどまって泣くことすらしない(できない)孤高の摩利くんがもう、可哀想で可哀想で、とてつもなく愛おしくて。。。いやあ、わたしはここで必ず、号泣してました(苦笑)。(わたし自身、イタイケな少女だったんですよ~。当時はね。)
だって摩利くん、呆然とうつろな目をして、ドアノブにすがりつくように立っていて、それこそ顔面蒼白でぶっ倒れそうなんですよ。それでもなお、行かないでなんて言えるかって、究極のやせ我慢をしてるのね(苦笑)。
虚勢なんて張らずに素直になればいいのに、でもなれない自分を、ちょっとクールに分析して、自嘲すらしてみせる。哀しいプライドだって自分でもわかってるけど、どうしようもないのね。そういう人なんですよ(笑)。それが彼の、美学なんだよなあ。。。
つまり上のセリフには、彼の人となりがすべて凝縮されているような、そんな気がします(笑)。そ~いう彼に、かつてのわたしはシビレタものです、てへv
と、いうわけで☆
心に残ったマンガの台詞は、まだまだたっくさんありますけど、とりあえずはこの辺で♪
●あはは。。。
海外旅行先でついやってしまう「日本人ぽい」行動ランキングわかるけど、そんなに悪いことでしょうかねえ?(笑)
ガイドブックのコースって、限られた時間でみどころを要領よく周るために、けっこういろいろ考えられていると思うんですよね~(笑)。いつもいつも、毎日それじゃあ「自分でオリジナルな発見をする」ってのがなくって、旅の楽しみが減るかもしれませんが。でも別に、そんなに失笑を買うようなことでもない気がします。
写真を撮りまくるのは・・・う~ん、わたしもいつもやってるけど(爆)。わかりますよ、「おいおい、撮影に一生懸命になりすぎて、自分の目でじかに見て体験するってのを、ちゃんとやってんのか?」って思うような人、たまにいますもの(苦笑)。日本人に限るとも思いません。でもまあ、それも価値観というか・・・本人がそれでいいなら、いいんじゃないのって思ってしまいます。冷たいのかな、わたし?
むしろカメラに関しては、マナーを守らない人のほうが嫌われますよね。教会内やオペラ座など、撮影(あるいはフラッシュ)禁止のところで平気でカメラを抱えて歩く人のほうが、国籍に関係なく、問題ではないかと。。。
海外で和食屋さんねえ。。。これはわたし、昔はちょびっとだけバカにしてました。ごめんなさいです(苦笑)。でもこれも、考えかた次第なんですよね。せっかくの海外旅行中に、慣れない食べ物のせいで胃腸の調子が悪くなったり、疲れちゃったりするくらいなら、お腹がほっと安心できるものを食べてもいいじゃないって、今はそう思います。
「カメラを首から」
「常に団体行動」
「ウェストポーチ」
・・・これは、少なくてもロンドンでは、思ったほどは見ないような(笑)。
しいて、日本人の行動で奇異に見えることがあるとすれば、やっぱり「ブランド品」かなあ。ヨーロッパではわりと、高級ブランド品のお店って、それなりの服装・階級・年齢の人が、それなりのもったいぶったお買い物をする・・・って感覚なんですよね(苦笑)。格式ってものが、今でも生きているんですね。(ロンドンでは廃れつつありますが。)
だから日本人の若いお嬢さんや、ユニクロ系の格好をした観光客が、集団でブランド品を購入してる図って、ほんの少しだけ「ヘン」に見えます。悪いわけじゃないけど、「なんか違う」って思う人もいるかなあ、という程度ですが。(でもそういうお客さんがいないと、ブランドのお店も儲からないと思いますけどね。)
ちなみに、「割り勘」と「ソーリーを連発」は、ロンドンに関しては全然OKですよ(笑)。他の国ではどうか知りませんが、イギリス人にとっては割り勘もソーリーも生活の基本です(笑)。