●久しぶりの
日比谷は、どうにも寂しい感じがしました。

(ゴメン・・・これはちょっとばかりミスリーディングな写真ですね。実はわざと駅の高架下で、ほとんど人のいないタイミングを狙って撮りました。)
でも、人出が少なかったのは本当です。
特定のモノ不足&節電モードの首都ですので、しょうがないことだとは思いますが(都心では今のところ停電はありませんが、鉄道各社の間引き運転や運休は継続中です)、日曜日の有楽町~日比谷~銀座エリアとしては、あまりにも閑散としていたような。

なんか、変な感じ。
●大きな余震が
来ないことを祈りつつ、それでもわたしたちが出かけたのは、コレのため>>
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/※公式サイト、音声がでます
小鳥さんははじめて、わたしは二度目になるアカデミー賞受賞
映画、「英国王のスピーチ」。
日比谷シャンテではふたつのシアターを使って、一日に8回ほど上演しています。
※余震や節電の影響でいつ臨時休館になるかわからないため、現在は前売り券の予約を受けつけていません。常に、当日分のみ販売してる状態です。
湘南エリアに近い某シネマ・コンプレックスでは、この
映画、アカデミー賞を受賞した直後だというのに座席はガラガラで、
「有名なハリウッドスターも出てないし、通好みの地味な
イギリス映画だから、興行的にはダメなのかしらん?」
なんて、ひそかに心配したものですが、さすがに日比谷は客層が違いました。
200席前後のミニシアターには違いないけど、それでも客席はほぼ満員・・・ああ、よかった(笑)。
何しろ、評判のとおり素晴らしい
映画です。
野暮はいいません、とにかく文句なしに面白い!
そして、上質なエンターテイメントであるばかりか、困難に立ち向かう勇気を与えてくれる
映画です。
機会があれば、ぜひともご覧になってください♪
もっとも・・・たしかに地味だし、あの時代(第二次世界大戦前夜)の
イギリス政界と王室のことを知らないと、話について行くのがちょっと大変かもしれませんが、でも大丈夫。
それでもなお、感動がそがれることはありません。
●たぶんそれは
この
映画のテーマが歴史でも、王室史でもなく、もっと普遍的なもの―――苦手なものを正面から見据える勇気―――だからではないかと思います。
※以下、若干のネタバレあり。
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本当に苦手で、考えるだけで苦痛で、失敗が怖くて、できるものなら何もかも放り投げて逃げ出してしまいたいものって、誰にもありますよね?
たとえば・・・子供のころの逆上がりとか、授業参観日での研究発表とか、やりたくないピアノの発表会とか、運動会のリレーとか・・・?(笑)
どんなに避けたいと願い、やらずに済むように神様にお願いしても、それは消えてなくならずに、目の前にでん!と構えている。
いやだけど、泣きたくなるほど怖いけど、でも逃げようがなくて・・・で、ひとは観念するわけです。
「克服する」なんて格好のいいものじゃなくて、もっとみっともない足掻き、それも悪あがきみたいなものかもしれない。
でも何とか恐怖心をねじ伏せ、なけなしのプライドをかき集めて、震える足をなんとかなだめて、それに対峙しようとする。
―――それがこの映画の主役、ジョージ6世なんですね。
はたから見ると、すらりとした長身の、それはそれは仕立てのいいスーツを着込んだ、おとぎ話のような美しい宮殿に住む特権階級の人間。
やさしい奥さんと、可愛らしいふたりの娘もいて、何ひとつ不自由のない暮らしをしているように見える。
だけど彼には、吃音という、恐ろしく根の深い問題があった。
彼の抱える吃音=心の傷がいかに深いものであるのか、映画は静かに描写します。
威嚇し、鼓舞し、支配しようとする父親(国王)。
抱擁のぬくもりさえ与えてくれない母親。
華やかで聡明で、情熱的だけど利己的な兄(次の国王)。
ジョージ6世の哀しみ、彼の憤り、彼の懼れ、彼の迷い・・・そのすべてが、コリン・ファースの押さえた演技によって、ほんのわずかな瞳や眉毛の動きに表れる。
彼の自嘲と、ときおり見せる爆発的な怒りのエネルギーに、わたしたちはおそらく、傷ついてどうしたらいいのかわからない子供の心を見るのだと思います。
それでも・・・ほら、次男坊ですからね。
シナリオ通りに行けば、ジョージ6世は本来、「ジョージ6世」になんてなるはずがなかったのです。
次男坊=ヨーク公爵として、「その他大勢」の王族として、地道に公務をこなしていれば済んだはずだった、それなのに。
(この記事では便宜上、一貫して彼をジョージ6世と呼んでいますが、映画の大半で彼はまだ王座についておらず、正式には「ヨーク公爵」のまんまです。)
あれよあれよという間に、父親の後を継いだはずの兄が恋をまっとうするために退位して、まさかの王冠が転がり込んできた。
彼が決して、決して望んでいなかったスポットライト。
そして
イギリスは、ヒットラー率いるドイツとの戦争に突入する―――。
国民に向けて、七つの海にまたがる大英帝国に向けて、ジョージ6世はマイクの前に立ち(ラジオで生放送)、一世一代のスピーチをしなければならない。
・・・とまあ、そういう話なんですが。
●こうやって書くと
まるで、ジョージ6世を演じるコリン・ファースが孤軍奮闘するみたいですが、この映画には、ホントは主演男優がふたりいると思います。
つまり、国王のスピーチ・セラピスト、ライオネル・ローグを演じるジェフリー・ラッシュの存在なくしては成立しないってこと。
吃音を矯正する・・・それらしい、妙にコミカルなシーンも数々ありますが、それよりもライオネルが重視したのは、ジョージ6世の抱えた心の闇を解きほぐすことでした。
人格が形成される幼年期に、まだ柔らかい心を踏みにじられ、まっとうな自尊心や自負を育てることができなかった彼―――実際、これが明らかになる場面は、見ていて本当に痛いですよ。
ものすごくいいシーンでもあるんですけどね。
ジョージ6世が淡々と、まるでそれが当然であるかのように、(今でいうところの)虐待やいじめを語るわけですが、そこでライオネルの―――相手が誰であろうとプロとして、診療士の仮面ははずさなかったはずの彼が―――見せる素顔が、これまた秀逸。
この映画には、
イギリス演劇界を代表する名優が次々と登場しますが、コリンとジェフリーの間に流れるケミストリーがすべてだと思いました。
いやあ、本当に、いい映画だ(笑)。
●おまけ
この映画のキモは、ジョージ6世が苦手なスピーチをなんとかこなせるようになる、ライオネルの存在が彼になんとか自信を取り戻させる・・・ってところ。
決して、「問題が解決する」わけじゃないのです。
国王は死ぬまで吃音と戦っていたし、間違ってもスピーチが好きになったわけじゃない。
魔法がすべてを解決してくれました、というエンディングじゃないところがミソなんだと思います(笑)。
さらにおまけ>>
助演の俳優たちはみな力演していますが、なにしろ存在感が飛び抜けているのが、チャーチル役のティモシー・スポール。
見た目や雰囲気を似せているのはもちろんですが、チャーチルのあの独特の喋り方を、痛快なくらいに真似ています(笑)。
チャーチル(のちの首相)といえば、戦争中の数々の名スピーチで知られていますし、今でも(直接チャーチルを知らない世代の
イギリス人にとっても)、彼の声としゃべり方はすぐに聞き分けがつくんですよね。
それだけに、楽しい錯覚を味わいました。
最後に>>
本物のジョージ6世のスピーチはこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=DAhFW_auT20この声の裏に、どれだけの葛藤が隠されていたのか。
あの映画のあとで聞くと、考えさせられますね。