●Tip the balance
なにしろ、水、ですからねえ。
浄水場から放射性物質 東京23区などで乳児の摂取自粛を要請そりゃ、こわいと思わないほうが不自然でしょう。
比べたら変かもしれないけど、ホンレンソウやキャベツの場合は、まだしも「洗うなり、火を通すなりすればいいかな」と思えました。
意識して、風評被害なんぞ起こしてたまるもんか、と思えたのよね。
それが牛乳となるとさすがに、脳内アラームが鳴り始めたものです。
そしてとうとう、東京の水道水。
PETボトルのお水があたりまえになった今でも、浄水器を経るにせよ、お湯をわかしたり、麺をゆがいたり、お米を炊いたり、歯を磨いたりと、水道水を口にする機会は非常に多い。
それだけに、衝撃は計り知れないものがあります。
雨が降って、放射性物質が大地に落とされ、沁み込み・・・というシナリオは、わたしでも容易に想像がつきますが、影響の出たスピードはあまりにも早く、不吉なものを感じました。
1年余り飲んでも影響なし…入浴・洗髪もOKって、言われてもねえ。
「この程度ならば、摂取しても健康に影響がない」
テレビもネットも新聞も、いろんな政治家や専門家や解説員の「大丈夫、大丈夫」というメッセージを何度も繰り返し、繰り返し伝えますが・・・ずれてるでしょ、それ(苦笑)。
(国家陰謀説・・・というか、この手の公式情報をいっさい信じない向きもあるようですが、わたしはそこまで懐疑的ではないので、ここではそれらを、とりあえずは信用に足る情報だという前提で書いています。)
ずれてるというのは、言うまでもない。
多くの国民が感じているのは、放射能の「恐怖」。
わからないから、目に見えないから、不安なのよ。
何がどうなるのかはわからないけど、「被爆」という言葉が連想させる、どうしようもない怖さです。
・・・つまり、非常に主観的で非科学的な(そしてとても人間らしい)感情なわけで、それに対してどれほど理路整然と客観的な事実を説明したところで、ダメなんです。
無駄だとは思わないけど、淡々と理性に訴えかけても、心がおびえている状態の人には届かないと思う。
だって・・・そうでしょ?
たぶん多くの人は、問題の水を飲んだところでいきなり喀血してぶっ倒れるわけじゃないことは、薄々分かってるんです。
でも、漠然とした不安は消えないんですよ。。。
「人体にさして影響がない」と言われても、怖いもんは怖い。
できるものなら、ほんのひと欠片だって口に入れたくはないんです。
できるものなら、そんなこわいものとは無縁な生活を送りたいんです。
まして小さな子供を持ったお父さん、お母さんならば、「自分が守らないと」という意識があればあるほど、過剰に反応してあたりまえではないかと思います。
(ミルクをあげてるお母さんはもとより、100%母乳のお母さんだって、赤ちゃんのために、自分の体内に放射能を入れたくはないですものね。)
都民の心に寄り添えって、行政に言ってもそれは無理難題なのかもしれません。
でも・・・不安がそこにある限り、事態はなかなか改善しないでしょう。
難しいですね。。。
●これはホントだ
既存メディア叩きの一種かもしれないけど、一理あるなあ。
大新聞とあの会長は、この大震災報道の空気を読めているのか?今回の大地震や津波、原発事故に限らず、刻一刻と進行する事件の報道では、もっとも大事なのが即時性。
テレビもインターネットもその点では「合格」なのですが、一方で新聞は・・・リアルタイムが命の報道の世界で、新聞の役割はひどく限定されているように思いました。
それから、計画停電をめぐる報道ね。
東電のやりかた(停電の実施を直前まで決定しない)のせいもありますが、グループ分けから停電の時間帯、それに伴う(たとえば)交通機関の運行状況などの情報に関しては、新聞はまったく無力です。
情報伝達が圧倒的に「間に合わない」のだから、どうしようもない。
いきおい、すでに読者が知っている情報の後追い(書面で再確認、みたいな?)に終始しているのは、否定できない事実でしょう。
それでいいのか、将来はどうなるのか。
あらためて考えるきっかけになりそうですね。
購買者の良識を見せるとき~最新号の『AERA』と『週刊ポスト』これは、本当にホント!
わたしは割とよくAERAを読む、いや、読んでいたのですが、今回の(震災後初の発刊の)表紙と特集記事には・・・呆れた、唖然としました。
ええ、買おうと思っていたのに、反発を感じて買えませんでした。
典型的な「scaremongering」ですよ、これ。
日本語でこれ、なんていうのかな・・・ウェブ辞書によれば、戦争や天災などの恐ろしい噂・デマを世間に流布すること、そういう噂や不安を広めて世間を騒がせること、というような意味です。
放射能の恐怖を、ことさらに煽りたててどうするよ?
仮にそれが、政府や東電が都合の悪い事実を隠している、と信じてのことであったにせよ、
①大震災の後の初の特集号のメイン記事として、それは妥当なのか?
②震災後に発売された雑誌を購買するたちが、そういう記事を求めているのか?
震災の事実を、その悲惨さを伝えるのがもっとも大事なことのはずなのに、と思っていたのですが、どうやら他にも同じように感じ、抵抗を覚えた人がいたようですね。
ナベツネとは別の意味で、AERAも今の日本の「空気を読めていない」。
と、そんな気がしました。