●やっと
台風一過・・・かな?



やれやれ。。。
●さても
映画「小川の辺」を観て思ったこと、気になったことをつらつらと書こうと思います。
http://www.ogawa-no-hotori.com/index.html※かなりのネタバレを含みます。
※わたしは藤沢周平の原作を読んでいません。故に物語の展開に関する疑問などは、あくまでこの映画を観た限りでは・・・ということになります。
あらすじ自体は、わりとシンプルです。
☆江戸時代、とある藩があった。
☆ひとりの藩士(これが佐久間森衛=愛ちゃん)が、「殿様の誤った農業政策のせいで凶作が続き、民が苦しんでいる」と厳しく批判した。諫言には、藩主に多大な影響力を持つ侍医を排除する狙いがあった。
☆佐久間はこの後、妻を連れて脱藩する。
☆藩主は激怒するが、家老らの進言もあって最終的には(佐久間の言い分を取り入れた)新政策を打ち出し、侍医を遠ざける。
☆ただし、脱藩者は処罰されなくてはならない。かくて戌井朔之助(ヒガシ)は上意により、親友かつ妹婿でもある佐久間を討つための旅に出る―――。
と、こんな感じです。
●映画は
半ば和風ロードムービー的で、美しい日本の風景をたっぷり、そこを黙々と歩くヒガシの憂愁とともに見せてくれます。
じゃあ、基本的に上意討ちの話かというと・・・どうなんでしょう。
そのわりには、クライマックスであるべき真剣勝負のシーンはやけにあっさり、拍子抜けするほど早く終わっちゃうからなあ(笑)。
「脱藩した佐久間を討つ」、というのが話の縦糸とすれば、横糸にあるのは一種の「三角関係」なんですね。
朔之助と、その妹・田鶴(たず)と、奉公人ながら幼い頃からふたりと一緒に育った新蔵。
いかにも優等生タイプの長男・朔之助に対して、田鶴は気が強くて負けず嫌い。助け起こそうとする兄の手を振り払って睨みつけるような、激しい気性です。
兄にしてみれば可愛げのない、扱いにくい妹だったらしく、この兄妹の関係は必ずしもうまく行ってないという印象。
たぶん―――愛情がないわけではなく、そりが合わないんでしょうね。
お兄ちゃんはもっともっと(お兄ちゃん風を吹かせて)妹を可愛がりたいのに、子供の頃からそれをさせてもらえず、言ってみれば「片思い」に近い感覚だったんだと思います。
(兄妹でどうこう、という疾しい意味じゃないですよ。)
その田鶴は、本当は新蔵が好きだった。
新蔵になら(兄とは違って)素直になれたし、実際お嫁に行く前には、かなり大胆に新蔵に迫ってもいる。
そこで二人が道ならぬ契りを交わしたかどうか、映画では描かれていませんが、多分そこで終わり=未遂だったんじゃないかなあ。
新蔵もおそらく田鶴に想いを寄せていたのでしょうが、身分の差を乗り越えて(=主家を裏切って)一緒になることはできない、と思いとどまったように見えました。
その辺の二人の感情のひだを、朔之助がどこまで知っていたのか―――すべて気づいていたとは、ちょっと思えないけど―――ともあれ、彼は新蔵を供に連れて旅をする。
やがて二人は、佐久間が田鶴と隠れ住んでいる、小川の辺のあばら家を見つけるわけです。
●この映画を
ひと言でいうと、物足りない、でした(笑)。
いや、もったいない、かなあ。
いい役者をずらり揃えて、素晴らしい映像に恵まれ、世界観も何も本当にいいんですよ。
いいからこそ、惜しい、と思ってしまうのね。
さんざんバカにしていた(失礼!)ジャニタレ・・・といっても、ヒガシはもうオジサンですが、彼の演技も、武士としての佇まい(特に横顔、横からの立ち姿)も美しくストイックで、実にはまっていました。
声がいいなあ、と思ったのも初めてです(笑)。
愛之助は当然ながら、江戸時代の武士にしか見えない存在感で(意外と出番は少ないんですが)、地味に素晴らしかった(笑)。
特に、最初に登場するシーンの低い、ひく~い声!
ゾクリと来るほどの、まるで初めて岩城さんの声を聴いたときみたいな衝撃を味わいましたよ・・・うふふ。
ホント、あれはお勧めです(笑)。
菊地凛子も、その他の役者さんも、あるいは子役に至るまで、みんなとてもよかった。
だから余計に、惜しいのです。
●この映画の
問題点・疑問点は以下のとおり。
☆朔之助と佐久間の関係
映画CMによれば「親友」であるはずの、この二人。
世代の近い同僚であり、剣の好敵手であり、姻戚でもあるはずなんですが、残念ながら映画を見る限りでは、この二人にそれだけの強い友情、絆があるようには見えないんですよ。
幼馴染み、親友という設定なのかもしれないけど(原作にはそう書いてあるのかもしれないけど)、映像ではそれは殆ど伝わって来ない。
そこを丁寧に描いておかないと、佐久間を討てという命を受けた朔之助の苦悩が、わからないですよね。
☆朔之助と田鶴の関係
どうやら子供の頃から、ぎこちなかった二人の関係。
上記のとおり、わたしはこれを「真面目で親の敷いたレールの上をきっちり歩く良い子の長男と、そのことに無性に苛立ち、何かと反発してしまう妹」だと解釈しましたが、さて。
本当にそうなのか、それとも確執に特別の理由があるのかは、いまひとつはっきりしません。
田鶴が兄と同じように剣術を習い、いざとなれば(夫の仇としての)兄と対峙することも辞さない―――というのは、この時代、かなり「普通じゃない」気がするので、もっと根深い原因があるのかなあ。
(実際、ヒガシを見る菊地凛子の目はほとんど憎しみをたたえていたので、余計にそう思います。)
勝手に想像すればすむことですが、できればこれも、緻密に描いて欲しかったと思います。
☆佐久間のキャラと脱藩の謎
曲がったことが嫌いで、堂々と正論を口にする佐久間。
―――という設定なんですが、それにしても、どこか矛盾を感じるんですよね。
いきなり過激な政道批判なんてしたら、自分や家族にお咎めがあるばかりか、自分の意見を受け入れてもらえない=間違った政策はそのまま、になりかねません。
それじゃ文字通り、不毛ですよね。
もっとクレバーな解決策があっただろう、と思わずにはいられませんが、これはまあ・・・彼は直情型なのだ、と言われたらおしまいかな(笑)。
少なくとも、彼の行動があまりにも突飛に見えないように、佐久間が以前から民百姓の苦境に心を痛めていたとか、ご政道を正そうともっと穏便な手段を講じていた(でも上手くいかなかった)とか・・・あればよかったかも、とは思います。
で、もっと謎なのが、彼の出奔。
命も惜しまず(自分だけでなく家族にも累が及ぶリスクも覚悟の上だったはず)、お殿様への意見書を出した彼が、どうして脱藩するんでしょう・・・?
脱藩は死罪。
死罪を恐れて―――のわけ、ないですよね。
お咎めを恐れる人ならば、そもそもあんな命知らずの意見書は書いてないでしょうから。
(それに脱藩なんかしたら、それこそ親兄弟までがその罰を受けるかもしれません。)
しかも、いろいろあったものの、最終的には佐久間の意見が正しかったことを、藩主自らが認めているんですよ?
藩のために諫言をした張本人が、今さら嫌気がさして逃げ出した・・・なんてことも、非常に考えにくい。
じゃあ、なぜ???
つまり、こういうことです(笑)。
藩主の怒りを買うことを承知の上で、命を投げ出して厳しい政策批判をした侍が、どうしてスタコラと逃げ出すんでしょう・・・?
はて、原作を読めばわかるのかなあ。
☆佐久間と田鶴の関係
これはまあ、なんというか・・・(笑)。
この時代、自由な恋愛なんてそうそうないでしょうから、(新蔵に恋している)田鶴が佐久間に嫁いだのは、おかしいこととは思いません。
でも、田鶴ほど気性の激しい女性が、「妻だから」という理由だけで脱藩者に同行し、あまつさえ兄に刃を向けるものかなあ。
なにかそこに、通い合う情があってほしいと思うのは身勝手でしょうか(笑)。
じゃないと、ほら、新蔵の腕の中で泣き崩れる田鶴を観てさ、なんだか・・・愛ちゃんが可哀相になってしまったので(汗)。
●え、
文句ばかり?
いやいやいや、そんなつもりはないです(苦笑)。
この映画はとにかく、静謐な美しさに満ちている。
淡々と言葉すくなに、とある侍の人生の苦渋に満ちたひとコマを、さらりと描いている。
派手なアクションも、わざとらしい盛り上がりも極力避けて、ミニマムな説明だけで物語をあぶり出そうとしている。
・・・それは、わかるんですよ。
でも、あっさりしすぎてるんじゃないかと、そんな気がしたんですよね。
登場人物の押さえた感情表現、それはいいんだけど、「何を」押さえているのかは、きちんと背景を書きこんでくれないと深みが出ないよ、という感じでしょうか。
観客の想像にゆだねるのもいいけど、もっと丁寧に、人物を浮き彫りにするエピソードを積み重ねてくれたらよかったのに、と思います。
(ほかにも、小さな伏線の取りこぼしが幾つか。知りたい欲求だけが膨らんでいきます。)
ああ、もったいない・・・(笑)。
―――と思ってしまうのは、もしかしたらわたしが、非常に濃い、あまりにも濃すぎる『春抱き』の信奉者だから、かもしれません(爆)。
おススメ度=★★★
キャストおいしい度=★★★★
萌え度=★
情感たっぷりの映像度=★★★★