●あはは!
JR四国、がんばりすぎ・・・(笑)。
高松駅:愛称を「さぬきうどん駅」に 「うどん県」と連動どういうわけか、わたしはこのキャンペーンが気に入っているようです。
ついに、バナーをお持ち帰り(爆)>>

(この副知事がわりと気になっている、というのは秘密。)
こんぴら歌舞伎、いつか行きたいなあ。
http://www.konpirakabuki.jp/index.html遠いけど。。。
●歌舞伎といえば
この、ビミョーな記事。
海老蔵、勘三郎に鼻であしらわれた香川照之さて、どう受け止めていいものやら・・・?
この記事を書いた芸能記者が、そもそもどのくらい歌舞伎の世界を知っているのか。
特に、かつて猿之助一門が、メインストリームの役者さんたちと袂を分かった経緯を。
・・・それによっても評価が変わって来るかもしれません。
※以下、単なるシロート歌舞伎おたくの私見。
「鼻であしらう」「突き放す」なんて表現は多分に主観が入ってるけど、この記事にあるようなことは、おそらくホントにあったんだろうなあ、と思います。
この記事の見出しだけ見ると、海老蔵たちがイジワルだって言いたげだけど、ちがうでしょ~。
無視・拒絶するというより、冷ややかに静観する、というのが正しいんじゃないかな。
「そちらのお家のことは、こちらは関係ないですから、どうぞご勝手に」
―――まあ、これも、冷たいといえば冷たいわね(苦笑)。
ここには、何重もの意味合いがあります。
まず、中車(香川照之)個人に対する反発。
歌舞伎役者(それも天才)の血を引いていようが、当代きっての実力派俳優だろうが、あの世界では関係ない。
歌舞伎の家に育ち、息を吸うように自然に古典芸能の世界に生き、祖父や父から受け継いだ伝統の技能を吸収しながら舞台に立ち、大人になっていく・・・のがあたりまえの歌舞伎の世界では、彼は完全なるよそ者です。
(養成所出身者など、一般家庭から歌舞伎の世界に飛び込む人もいますが、そういう人が幹部俳優となり、大きな名跡を継ぐことはほとんどありません。)
「ン十年のハンデを、どうやって乗り越えるというのか」
(=自分には出来ると思っているのか、それは驕りではないのか。)
―――そういう意識は、歌舞伎役者なら誰しも抱くだろうなあ。
次に、中車の今回の決断にひそむもの。
本当に歌舞伎が好きで好きで、晒しものになってもいいから、イチから学びたい。
歌舞伎のためなら何でもする、100%を捧げる。
・・・そういう覚悟があるのなら、おそらくこれほど冷たいリアクションはなかったと思うのね。
でも彼には、歌舞伎を愛している、という姿勢がないでしょう?
両親の離婚が原因で、ファーザー・コンプレックスを極端にこじらせている。
お父さんに認められたい一心で、お父さんに誉めてもらいたくて必死になっている。
それは彼の生い立ちゆえで、彼の責任ではないかもしれない。
むしろ彼には、同情すべきなのかもしれない。
でも、いいトシの男として、一人前の役者として、もうちょっと冷静な判断ができないものか。
たぶんね、外野で見てるわたしがそう思うくらいですから。
彼のそばにいる人間ならば余計に、その「不純な動機」が気になると思います。
香川照之が好きなのは(現実には存在しない理想の)お父さんであって、歌舞伎じゃないものね。
それから、猿之助一門の過去。
派手な演出とスピード感が斬新なスーパー歌舞伎(1980年代~)・・・を、ご存知でしょうか(笑)。
当時まさに絶頂期にあった猿之助がはじめた新しい歌舞伎は、(今よりもずっと)保守的だった歌舞伎メインストリームからは異端視されていました。
というか、「伝統を無視している」と非難され、かなりの確執があったんじゃないかなあ。
(詳細はわたしもよく知りません。そのころ大幹部だった役者さんの顔ぶれを見ると、猿之助とはまったく相容れない人たちだったろう、とは思います。)
どのくらい異質だったかというと(笑)>>
いってみれば、「精霊流し」や「青葉城恋唄」が流行っていた時代に、ジュリーが電飾ギラギラのド派手衣装で「TOKIO」を歌った・・・みたいな感じ?(爆)
喩えがすでにあり得ないほど古いし・・・(汗)。
まあ、そんなわけで、猿之助一門は「イロモノ」扱いされ、主流派(守旧派?)から締め出しを食らったような格好だったんですね。
それでも猿之助は天才で、人気も才能もあったからいい。
ケレン味いっぱいの芝居もする一方で、正統派の伝統歌舞伎もこなせたからね。
(性格というか、私生活はわけわからない人だけど。)
だけど、彼に魅かれて入門してきた若い役者たちには、そこまでの才能や器用さはなかった。
おまけに彼が、わりと若いうちに倒れ、舞台から姿を消してしまった。
―――お弟子さんたちにとっては、そこからが受難の時代?であったろうと思います。
これについては、まだ書きたいことがいっぱいあるけど、ここでは割愛します。
ともかく、そういう時代を経て、一度は干された(に近い状態だった)猿之助一門の役者さんたちも、ようやく徐々にメインストリームの役者さんたちに呼ばれ、一緒に芝居をするようになっていた。
(思いがけず)亀治郎という新しいスターが台頭した、なんて明るいニュースもありますし。
過去は過去として、確執は消えつつあったと思います。
そこにこの、中車襲名のごり押しでしょう・・・?
※亀ちゃんが猿之助を襲名するだけだったら、おそらくフツーに祝福されていたでしょう。
「やっぱり、澤瀉屋(おもだかや)さんのお家は、ねえ(ため息)」
(澤瀉屋=猿之助一門の屋号)
こんな強引なことを、ボスの一存で無理強いするなんて。
もちろんうちでは、こんなワガママはとうてい許しませんから。
―――みたいな思いを抱いた歌舞伎役者さんは、多かったんじゃないかと思います。
(もひとつ、余計なことをいうと、猿之助が倒れた後の一門を引っ張り、リーダー格で頑張っていた市川右近がスルーされ、亀治郎が後継者に選ばれたことへの複雑な思いもあるかも?)
まあ、そんなわけで。
少なくとも、中車に対して、
「香川さん、ようこそ! 一緒にがんばって行きましょう!」
・・・みたいな雰囲気じゃないってことは、容易に想像がつきます(苦笑)。
それを知らない(想定もしなかった)とすれば、中車はあまりにもあの世界に疎すぎる。
おそろしく、世間が見えてなさすぎる。
いきなり、なんの前振りもなしで挨拶に行ったんだとすれば、彼(あるいは周囲の)段取りが悪すぎる。
シロートの中車のために、亀ちゃん周辺がガイド役、調整役を務めるべきでしょう。
忙しすぎてそれが満足に出来ないのか、そこまで手取り足とり面倒をみる気はないのか。
故意に、恥をかかせようとする・・・理由があるのか・・・?
むろん、中車がいま必死で歌舞伎の稽古中だ、というのなら、風当たりは違ったでしょうね。
もしそうなら、応援する人もいたかもしれない。
でも、どうやら、全然やってないみたいでしょう?
そのせいか、彼の出る月の演目は、かなり制限されているように見えます。
重要だけどほとんど台詞のない役か、現代劇(に近い芝居)の役。
「猿之助の襲名披露公演なのに、ひょっとして亀治郎は、自分のやりたい演目を好きに選ぶわけに行かなかったかも・・・?」
(中車にもできる役柄がある芝居を、優先的に選ばざるを得なかったかも。)
こっそり、そんな心配すらしてしまいます。
杞憂だといいけど、もしそうだったら、一世一代の襲名披露公演で、それは気の毒だ。
―――もう、やめたほうがいいですね(汗)。
個人的に、香川照之は、いい役者だと思うんですよ。
だから余計に、今回のこと、喜べないんですよね。
傷ついても傷つけられても、それでも父親を求めてしまう彼が、どうにも哀れで見ていられない。
呪縛・・・だなあ、と思います。