●みなさま
本当にありがとうございます。
昨日今日と、ものすごくたくさんのメールや拍手コメントを頂きました。
慰めてくれたり、一緒に悲しんでくれたり。
(勘ちゃんの近親者でもないのに)お悔やみの言葉までいただいてしまって。
心から感謝しています。
めそめそ沈んでいたわたしですが、温かい言葉にまた涙、涙です。
みなさま、本当にお優しい。
改めて、中村勘三郎という役者が、どれほど大勢の人に愛されていたのか。
それを痛感した次第です。
一度も舞台を見た事がないという人ですら、早すぎる死を悼んでくださる。
もはや歌舞伎の世界にとどまらない存在であったのだと、あらためて思い知りました。
(まだちょっと、過去形で語るのは胸が痛みます。)
彼の父上も、稀代の名優だったけれど。
彼は本当に、それ以上でした。
人間国宝だろうが国民栄誉賞だろうが、どんな勲章だろうが。
勘ちゃん自身はそういうものにこだわらないだろうけど、おそらく長生きすれば、すべて手に入ったでしょう。
今の歌舞伎界で、真に天才だとわたしが思うのは、実は二人だけ。
天賦の才、神様に愛された選ばれた存在。
それは玉さまと、勘ちゃんだけが持っていると思っています。
(よく考えたら先代の猿之助もそうですが、今はもう現役とは言えないのでリストからはずしました。)
その一方が、この世から早々に失われてしまった。
ぽっかり空いた穴は、埋めようがないと思います。
●こんなことを
書くと、もしかしたら。
わたしの最も敬愛する孝夫ちゃんはどうなるって、思われてしまうかもしれませんね。
あくまで比喩というかイメージですが、こんな感じなのです>>
歌舞伎役者が全部で、仮に、100人いたとします。
そのうちで、「いいなあ」と思う役者さんが、だいたい30人くらい。
個人的な好みの問題なので、声がいいとか、顔がいいとか、そういう基準もあるし。
演技力に唸らされるとか、性格がものすごく良さそうだとか、そんな理由もあります。
若いのによく頑張ってる、もっと活躍してくれるといいな、と応援したくなる人もね。
そのうち、特に目立つ存在が、20人くらいかな?
いわゆる花のある存在、誰が見てもスターだよね、という人たち。
(いぶし銀の、名脇役もいますが。)
で、さらにその中で、「これは凄い」と思う役者さん。
一流の舞台だと感嘆させられる人が、だいたい15人くらい。
いわゆる幹部俳優さんたちは、ほとんどがここに入ると思います。
この辺が難しいところですが、たしかに花はあるけれど、まだ一流のレベルではないという役者さんもいる。
逆に、ベテランもいいところだけど、花があるとは(わたしには)思えない、って人もいるんですよね。
(スター性を感じないというのは、下手だという意味ではありません。)
まあ、そういう部分はあるにせよ。
そのうちでも選ばれた10人ほどが、すべてを兼ね備えている・・・ってことになります。
実力も花もあって、主役を張ってちゃんとお客さんが呼べるベテラン役者さん。
わたしは根がミーハーなので、普段お金を出して観に行くのはこのレベルです(笑)。
で、頂点というと、どうしても孝玉になってしまう。
そしてこの二人に関しては、順位はつけられないのです。
カテゴリが違いすぎるから。
孝夫さん=仁左衛門は、わたしが19歳のころからの(仮想)理想の恋人的な存在。
玉さまにはそういうふうに異性として魅かれるわけではなく、むしろ・・・なんだろう。
化身というか、精霊というか、あやかしの魔性というか。
この世のものではないと知りながら、九尾の妖孤か、葛の葉に化けた白狐に誘われるような感覚。
人間じゃないものに嵌った、と言ってもいいかもしれません(笑)。
で、話を元に戻すと。
玉さまと勘ちゃんは、比類なき天才、異才。
孝夫ちゃんは強いて言えば、遅咲きの秀才でしょうか。
長年の苦労と我慢と地道な鍛錬が、40歳を過ぎてから大輪の花をつけたような。
彼の魅力と実力に、名声が今ごろやっと追いついて来た。
その声も芸風も、姿かたちもお人柄も、全部が愛おしいですね(笑)。
胸キュンという言葉(死語)は、彼のためにあるんだと思います。
※68歳。わかってます。ジジイです。・・・でも、好きなんだもん。
「はいはい、孝夫さんね~。たしかに美形だもんね~」
(=歌舞伎役者を外見だけで判断する素人。みーはー。)
昔はそうやってからかわれたものですが、今ではさすがに言われなくなりました。
年をとるって、わるいことばかりじゃないですね。
●それでは、
また。。。