●恐ろしい
暴風雪。
どれほどの猛威だったのか、想像もつきません。
いやでも、「暴雪圏」(佐々木譲)を思い出しました。
(これは警察小説ですが、春先の道東を襲った桁外れの暴風雪の日の事件を扱っています。)
北海道の暴風雪、死者8人に 網走・富良野でも死亡雪国に暮らす、雪とのつき合いに慣れているであろう人たち。
そういう人たちが遭難するのだから(それも自宅の近所で)、どれだけ酷い吹雪だったのか。
どれほど、唐突な天候の悪化だったのか。
そう思わざるを得ません。
(そもそも関東南部の人間なんて、「吹き溜まり」が何かもわからないくらいだから。)
想定外の大雪と風で視界が閉ざされ、車が動けなくなる。
あっという間に、車が雪に覆われてしまう。
そうやって立ち往生すると、直後はともかく、暖房も使えないのだそうです。
マフラーが雪に埋まって、排気ガスが車内に戻って来てしまって危険だから。
「ああ、それで・・・」
一酸化炭素中毒を引き起こすおそれがある、ということなのですね。
そこさえクリアできれば、ガソリンがある限り、エンジンは動き続けるだろうに。
エアコンを切らざるを得ないとすると、車の中は、いったいどれだけ寒いのでしょう。
マイナス10度、20度・・・?
ぴっちり窓を閉めていても、厳しい冷気が隙間風のように入ってくるだろうから、それは辛いでしょう。
防寒具、どのくらいクルマに常備してあるものなのか。
仮にもし雪にすっぽり埋まってしまったら、今度は、下手をすると酸欠の心配をしなくてはいけない。
・・・だから、外に出てしまうのか。
報道を見ると、車から出て雪の中をさまよい、力尽きた・・・と思われるケースが多い。
「安全で暖かい車の中から出るなんて、何を考えているのか」
最初はそう思いましたが、よくよく考えてみると、他にどうしようもなかったのかもしれない。
車内に残るのも危険、雪の中をさまようのも危険。
でも、何もせずにこのまま凍ってしまうよりは・・・と、そう考えたのかな。
自宅周辺のいつもの道だから、勝手もよくわかっている。
「すぐそこ」だし歩いても辿りつける、と思ったのかもしれません。
それが結果的に、悲劇に繋がってしまった。。。
痛ましくてなりませんが、では、どうすればよかったんでしょう。
人間は、本当に生命の危険を感じるほどの事態に直面したとき、恐怖で頭がおかしくなってしまうのを避けるため、わざとその事態を過小評価する傾向がある・・・と聞いたことがあります。
「まさか、そんな」
と動揺し、心の安定のために無意識に、
「このくらい大丈夫はなずだ」
と、最悪の可能性を考えることを、脳みそが拒否する。
そのお陰でなんとか平静さを保ち、機転を利かせる場合もある。
だけど逆に、事態を甘く見たせいで。高い代償を払うこともあるのだそうです。
―――自分だったら、どうするんだろう。
その状況で、どういう判断をすれば「正解」なのでしょう。
生死の分かれ目は、どこにあったのか。
胸が痛く、鬱々と考えてしまっています。
●こちらも
悲しい話。
悲惨なニュースばかりで、申し訳ない。
東日本大震災:大川小で追悼法要…宮城・石巻震災のイメージ、というのは数多ありますよね。
すべて悲劇ではあるけれど、中でもとりわけ、心に強く印象を残した悲劇がある。
そのうちのひとつが、この大川小学校の悲劇だろうと思います。
生徒・教職員を含め、84名が亡くなった大川小。
(行方不明者を含む。)
津波の被害に遭った学校は多いし、不幸にも亡くなった子供も多いけれど。
それでも、児童の大半が帰らぬ人になったのはここだけです。
(全校児童108名のうち、死亡・行方不明が74名。)
激しい地震のあと、パニックに陥った教職員の優柔不断が、取り返しのつかない悲惨な結果になった。
校庭に子供たちを待機させたまま、小一時間も無駄にしたとか。
すぐ裏に山があったのに、わざわざ津波の来る方角に避難しようとしたとか。
・・・詳細はさんざんマスコミにも取り上げられているので、ここでは割愛します。
結果論なんだろうけど、どうして山に逃げなかったのか。
(実際に津波が来てから、山になんとか飛びついてよじ登った子供たちは助かっている。)
まして、まだ行方不明のままの子供もいる。
この日、この小学校で何が起きたのか、まだ完全にはわかっていない。
(その日いた教職員がほとんど亡くなってしまった、というのもあります。)
納得のいかない気持ちがあるから、強く強く、ひとの心に残るのでしょう。
やりきれない気持ちが、おさまらないのは当然だと思います。
誰かを責めるためではなく、こういう悲劇を繰り返さないために。
学校側に都合の悪いことも含めて、すべての事実が明るみに出ることを祈るばかりです。