●うへへ♪
(´∀`σ)σ
昨日からニマニマが止まりません。
〈速報〉片岡仁左衛門、人間国宝認定「父に感謝しています」(´∀`σ)σ
なんかもう、気持ち悪くてすみません・・・でへ(汗)。
人間国宝:父譲りの芸、歌舞伎けん引…片岡仁左衛門さん(´∀`σ)σ
自分でも、こんなに嬉しいとは思わなかったなあ。
これは先代(孝夫ちゃんの父上)の記事>>
想い出の俳優 十三世片岡仁左衛門(´∀`σ)σ
我ながらびっくり。
片岡仁左衛門が人間国宝 2代続けての名誉「親孝行できた」「型」の意味、追い求めて 人間国宝に片岡仁左衛門さん松竹の記事、一日たってやっと来ました。
※
歌舞伎の公式サイト、という意味です。
仁左衛門が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語るNHKでは、ちょっとだけですが動画も。
※NHKの動画は数日すぎると消えちゃいます。
人間国宝 片岡仁左衛門さんら新たに4人そういえばNHK、いま大阪でやってる「絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」を収録したそうです。
いつになるか知らないけど、テレビで放映の予定。
人間国宝のニュースとあいまって、話題になる・・・といいなあ(笑)。
記者会見の様子はこちら>>
孝夫ちゃんの面白いところ。
※以下、ごく私的な見解です。
三男坊でありながら、大きな名跡を継いだこと。
上のお兄ちゃん二人がダメダメならともかく、そうじゃないからねえ。
長兄の我當(がとう)さんも、次兄の秀太郎(ひでたろう)さんも、立派な役者なのです。
上方
歌舞伎の伝統を受け継ぐという意味で、なくてはならない役者さんたち。
(このクラスで兄弟それぞれ名優となると、幸四郎さん&吉右衛門さんぐらいしか他に例がないかも。)
ただ、我當さんと秀太郎さん。
玄人ごのみの芸達者ではあっても、一般的に知られているとはいいにくい。
その点、三男坊=片岡孝夫はちがいました。
よくも悪くも、若かったからでしょうね。
関西
歌舞伎が低迷して、つまり駆け出しの若い役者にまで仕事が回ってこなくて、
“やむを得ずに”
東京に出て来た。
(東京には
歌舞伎座があって、ちゃんと毎月幕が上がっていたからね。)
出稼ぎの労働者みたいなもの・・・だったんだろうと思います。
今とちがって当時はまだまだ、なんというか、東西の壁が厚かった(らしい)。
「仕事ほしいって・・・あんた誰?」
ってのは、言いすぎかもしれないけど。
大阪からやってきた無名の孝夫ちゃん、ずいぶん大変な思いをしたようです。
関西では松嶋屋(というでっかい名跡)の御曹司でも、江戸ではただの若い役者。
その他大勢のひとり。
関西でもらうより格下の役を頭を下げてやっと振ってもらって、かつかつで修業を重ねた。
テレビや映画の仕事をしまくったのも、この頃。
ニヒルな色男なので、愛人役やインテリっぽい悪役が多かったように思います(笑)。
かの眠狂四郎も、この頃になるのかなあ。
今になって振り返ると、
「もうちょっと仕事、選ぼうよ・・・」
的なものもなきにしもあらずですが、それはまさに結果論でしょうね。
もっとも、江戸の歌舞伎界にただ苛められていたわけじゃない。
守田勘弥(玉三郎の養父)や先代の勘三郎(勘ちゃんの父上)など。
若い孝夫ちゃんを可愛がり、稽古をつけ、積極的にいい役でつかってくれた恩人もいます。
孝夫ちゃんが玉さまや勘ちゃんとめちゃくちゃ仲がいいのは、偶然ではないのですね。
そうやって東京で生きていくうちに、いつしか飛躍の時期が来ました。
ブレイク、ってやつですね。
孝夫ちゃんは、すでに30代から40代になろうとしていました。
なにしろ、水もしたたるイイ男だ。
玉さまとの美男美女コンビが注目を浴び、「孝玉ブーム」なんてのがやって来た。
(スターという意味では、年下の玉さまのほうがずっと早くから知られていました。)
歌舞伎界、そして歌舞伎のファン層も、ちょうど転換期にあったのだと思います。
人気のあるなしとは無縁の、ひたすら芸術を追い求めていく、一種の守旧派。
(プロの評論家には称賛されても、歌舞伎座はガラガラ・・・みたいな。)
それに対して、マスコミにもどんどん露出し、一般的な知名度をも大事だと考える若い世代。
その交代時期と、孝夫ちゃんの台頭が重なったんじゃないかなあ。
というより、孝玉ブームの到来自体が、世代交代の象徴だったのかもしれない。
その変化を、軽佻浮薄だと嘆く人もいた。
歌舞伎が民間の興行である以上、儲からなければ続かないじゃないか、と反論する人もいた。
その結果・・・?
人気役者がちゃんと芸を引き継ぎ、かつ客も呼べる状態になっている。
―――と思いますが、さて。
そういう流れの延長が、孝夫ちゃんの仁左衛門襲名であったと思います。
なにしろデビュー以来、40歳をすぎてもずっと本名のままだった。
歌舞伎の世界ではかなり、かなーり珍しい事態です。
というか、こんな例をわたしは他に知らない。
三歳や五歳の子供でも、もっともらしい名跡をもらう世界ですからね。
(その気になれば、それらしい名跡のひとつやふたつ、松嶋屋に空いてなかったはずないのに。)
最初は偶然だった、んだろうな。
テレビや映画に本名で出演して、その名前で売れたから。
でも、どこからかは、意図的だったのだろうと思います。
あえて、なんの襲名もさせなかったとしか思えない。
「もしかして、ひょっとして、ひょっとすると・・・」
人気が出てさ、それでもエラソーな名前をもらうことなく、ずっと 「孝夫ちゃん」 のまま。
その時点で、ひょっとしてこれは・・・?
って、ファンは思っていたと思います。
もしかしてもしかすると、一気に仁左衛門に行くのかなあ、と。
お兄ちゃん二人をすっ飛ばして、いきなり。
そしてそれは、現実になりました。
片岡孝夫、一生にたった一度の襲名披露。
そりゃもちろん、行きましたとも。
襲名の前にも大きな病気をして、さんざんハラハラしましたから。
命にかかわるような病気だった。
生きていて。
お願いだから生きていて。
万が一それで舞台に立てなくても、生きていてほしい。
孝夫ちゃんのファンはみんな、それからも何度も何度もそう祈って来たと思う。
(團十郎のファンもきっと、同じ思いをして来たんだろうなあ。)
たぶん、だから。
人間国宝になると聞いて、最初の反応が
「よかった!」
だったのだと思います。
不吉な言いかたをするわけじゃないけど、間に合ってよかった。
無事に、笑顔でこの日を迎えられてよかった。
奥さんも子供も孫もいて、仲間たちに祝福されてよかった。
舞台に出演中にこの報が届き、直接お客さんに祝ってもらえてよかった。
今後のことを語る、余裕があってよかった。
心からそう思います。
●では、
またね。。。