☆愚痴と弁明☆
すごいショック。
何時間もかけて延々と書いてたこの記事の下書き、PCフリーズして飛んじゃった。
見事にぜんぶ消えた。
ひでえ。
泣くに泣けないよー。
イマドキこんなことがあるなんて。
(ρ_;)。。。
というわけで、下記は泣きながら書き直したブログです。
ちょっと短いのは、気力の限界だから(汗)。
えーん。●それにしても
今さらだけど、言う。
今年もあと残すところ、わずか2ヶ月。
早い。
あまりにも早すぎる・・・(汗)。
暑い、暑いと大騒ぎしたはずの夏すら、今やおぼろげな記憶しかない。
本当にそんなに暑かったっけ?
あっという間に秋が来てしまったせいか、そんなに辛かった?
そういう感じ(笑)。
ところでわたしは、11月3日が祝日だということを完全に忘れていました。
まったく意識になかった。
時間の感覚どころか、日付や曜日の把握すらヤバいのかもしれない(汗)。
「え、なんで・・・?」
のんびりお茶をすすってる小鳥さんの姿を、朝のリビングで見かけてびっくり。
「は?」
驚かれたほうもおどろいたでしょう(汗)。
あれれ。
休みなんだっけ。
「き、勤労感謝の日だっけ・・・?」
あわてて変なことを口走ったけど、おいおい。
自分の国の祝祭日くらいちゃんと覚えてろよ(汗)。
※寝ぼけてたの。そう。うん。
ああ、そうか。
文化の日だったよねと思ったものの、そこではたと気づいてしまった。
「なんでこの日が文化の日?」
わたし、文化の日制定の由来、知らないかもしれない・・・(汗)。
まずい。
無知無教養をさらすようで恐縮ですが、知らない(思い出せない)ものはどうしようもない。
あわててウィキ先生にお伺いをたてました。
(以下、抜粋)
>文化の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)
>第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。
>1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を
>重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と
>定められた。
>日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、
>5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっている。
あああ、そうだそうだ。
そうでした(笑)。
アホすぎてまるっきり忘れてたけど、たしかに知ってる(知ってた)わ。
今の憲法が公布された日。
施行は半年後に定められていて、それが(翌年の)5月3日。
憲法記念日ですね。
「法学部卒だろうよ、アンタ・・・」
はい。
申し開きのしようもございません(汗)。
●というわけで!
今日もなんとか書こう。
『コンパニオン・プランツ』のれびゅー、続きます。
これで終わり、のはず。
※以下、ネタバレありあり。
※いつものことですが、レビューは個人の主観的な、勝手な、自由な感想です。
※愛にあふれるボケやツッコミ、矛盾や疑問点の指摘など、結構なんでもあり。
※ときに妄想が暴走します。
※稀に自分自身が以前に書いたレビューと食い違うことを、しれっと書いたりしてるかも。
※そういうのが苦手な方は、この辺で読むのをやめたほうが・・・(汗)。↓
↓
↓
↓
↓
さて。
今回の35ページで、何にいちばん衝撃を受けたか。
(マンガのページの数え方は未だによくわからない。カラー扉絵ってカウントするの?)
というと、実はね。
じつは、先生のコメントだったりするのです。
いや、ホント。
あまりのショックに、
岩城さんともっちーの会食のシーンがすっ飛んでしまったほど。
「運命の出汁に出会い、気分転換に料理する毎日です。」えええ!?
マジですか。
これがあの、先生のお言葉???
いやあ、びっくりした。
あまりに意外で、腰が抜けそうになりました(笑)。
だって、あれですよ。
かつて、アシスタントさんがご飯をつくってくれないと、デリバリーも頼まず。
面倒くさいからと、外食にもゆかず。
ご母堂が手配した救援物資に 「生ゴメを送られても・・・」 と困惑したという猛者です。
どう考えても、自炊派ではなかった(はずだ)。
そういうお方が、いつの間に手料理派に転向を・・・!?
人間、変われば変わるものだ。
心底そう思わずにはいられない。
※まちがっても嫌味でいってるわけではない。
さらにいうと、わたし自身が同じ経験をしています。
「自炊なんか時間のムダ。エネルギーのムダ。外食大好き。世の中いくらでも美味しいもの売ってるし」
↓
「お料理たのしい! お米とぐの好き! 自炊サイコー!」
っていう、180度くるり!の手のひら返し。
きっかけになったのは、わたしの場合は、炊きたての白いご飯らぶ♪でした。
周囲の人間には、
「あの○○(=わたし)が、まさか料理をするようになるなんて」
「絶対にこれ、誰か別の人格が乗り移ったにちがいない!」
と呆れられるほどの変節ぶりでした。
ロンドンにいた頃の話。
(ちなみに、美容や健康への配慮とはまるっきり関係がない。残念。)
さあ、そうなると気になります。
運命の出汁かあ。
いったい、どんな出汁に出会ってしまったのでしょう。
どこの、なんていう商品なのか。
※少なくとも市販の商品であろう、という前提。
どこか高級料亭の特製だしとか、そういうのかな?
やっぱりお取り寄せ系か。
そういえば、歌舞伎会の会報に折り込まれてくるチラシとかにあるよなあ。
クレジットカードの会員誌なんかにも、特別頒布会とか見かけたりする。
いかにも美味しそうな和風だしとか、あごのだしとか、そういうの・・・?
ああ、気になる。
ものすごく知りたいけど、どうしよう。
編集部への手紙で 「教えてください」 って聞くのはどうなのさ・・・?(汗)
アンケートはがきに書いたらおかしいよね?
がるる。
先生、教えてください。
お願いします・・・!(・_・)
ちなみに>>
先日のお茶会でも、この話題でひとしきり盛り上がりました。
「あれはびっくりした!」
「どこで買えるのか、教えてほしいよね!」
みんな、考えることは同じなのですね・・・(笑)。
ええっと、さて。
『コンパニオン・プランツ』に話を戻しましょう。
手乗り
岩城さんシーンの、すぐ後です。
すぐあと、といってもこれ。
シーン転換ですね。
一見おなじ、
岩城さん&
香藤くん家のリビング。
だけど数週間、いやもしかしたら数ヶ月が経ってるのかもしれません。
前の場面では半袖Tシャツだった
香藤くんが、ここではすっかり冬の格好。
ちょうど帰宅したところみたいだけど、ショート丈のジャケットとぐるぐるマフラーです。
暑がりの
香藤くんがこの姿ってことは、もう冬なんでしょう。
いつごろ?
そういえば金子さんは、
香藤くんとの密談の席で 「来クールのドラマ」 と言ってました。
あれはたぶん、服装からみて秋口ぐらいなのかな。
ドラマのクールでいえば、10月~12月期の真っ最中だったと推察します。
「来クール」というのはつまり、1月~3月期を指すことになる。
おそらく11月か12月あたりから、翌年1月放送開始の連続ドラマの撮影がはじまる、と考えられます。
ってことで、つまり。
この最後のシーンは11月終盤~12月初旬ぐらいかな。
・・・だいたい、そんなタイミングではないかと思います。
さて、ここでひとつツッコミを。
父子共演の話が来てしまったこの「作品」というのは、いったい映画なのか。
それともテレビの連続ドラマなのか。
どっちだ・・・?(笑)
単なるチェックミスなんでしょうけど、気になります。
①Jテレビが翔くんに準主役をオファーしてきたという、来クールのドラマ。
②持宗監督が
岩城さんを口説き落とした、Jテレビが主導しているというヒューマンドラマ。
それぞれ別ルートで別の役者にやって来た、一見ぜんぜん別の話。
それが実は同じ作品だった・・・!
イコール、まさかの
岩城さんと翔くんの共演話が降ってわいた!
さあどうする?
―――というのが、この話のオチですよね。
オチというか、キモか。
金子さんはドラマだといい、
香藤くんは映画だと言ってる。
さあ、どっちだ。
Jテレビってのはテレビ局なんだから、テレビ番組をつくるのが本職です。
翔くんに来たのはドラマの仕事だ、と考えるほうが自然ではある。
その一方で、テレビ局って映画の制作もやるよなあ、とも思う。
もっちーの個人的な思い入れの強いヒューマンドラマ。
「ひとりのろくでもない男の長い人生を描く」 という、もっちーオリジナル脚本。
これもいかにも映画っぽい。
連続ドラマに向くテーマじゃない気がするし、第一あれだ。
鬼才・持宗監督の次回作というからには、やっぱり映画じゃないと格好がつかない。
というか、映画を撮りたいからこそ、彼もさんざん根回しして来たんでしょう。
お茶会の席では、
「翔くんに来たドラマというのと、
岩城さんの映画が別物だ、という可能性は・・・?」
についても検討しました(笑)。
矛盾せずに双方が両立し得るならいいのですが、やっぱりちょっと苦しいのです。
岩城さんに来たのはもっちー映画の主演で、翔くんのドラマ(準主役)はまったく関係のない別物。
・・・だと、仮定するでしょう?
そうすると、Jテレビ主導でもっちーが監督をつとめる新作映画が一本。
Jテレビの制作する冬クールの連続ドラマが一本。
その両方に、翔くんはそこそこ重要な役をもらったことになる。
それはちょっと不自然じゃない・・・?
ましてその場合、ドラマのほうには岩城さんはいっさい関係ないことになる。
関係ないものを、いかにも伏線のように出す必要がありますかね?
香藤くんと金子さんのあの密談、あれが『コンパニオン・プランツ』の本筋に関係ないとは思えない。
―――でしょう?
まあ、そういうわけです。
映画じゃないかと思ってますが、正解かどうかはわからん(笑)。
「翔と共演・・・!?」
ああ、来たか。
やっぱりそうなるか、とまずは思いました。
岩城さんの隠し子(隠され子)が登場した時点で、これは見えていた。
いつかどこかで接近遭遇するのは不可避。
そのくらいは予測できたけど、でもやっぱり衝撃ですね。
もう!?
という気持ちもある。
「ダメだよ!? 岩城さん・・・!」
愕然とする香藤くんの、最初の言葉がこれ。
ああ、そうなのか。
やっぱりそうなのか、という気がしました。
動転してるからだろうけど、実はここの香藤くんの言葉はちょっときつい。
普段の思慮深い彼なら言わないようなこと、使わないだろう表現。
ダイレクトにバーン!
と、言っちゃってる気がします。
共演は絶対ダメ!
共演は絶対ダメ!
共演は絶対ダメ!
岩城さんのためにならないから、絶対ダメ。
香藤くんの脳内にあるのはそれだけ。
もしかすると香藤くんの中には、
「ああしまった、あのときすぐに言っておけばよかった!」
という後悔があるのかもしれませんね。
翔くんへのドラマのオファーに裏がありそうだって話、たぶん岩城さんにしてないんでしょう。
その後ろめたさが、動揺のかげに隠れているのかな。
「それでなくても、見る人が見れば岩城さんと翔は似てるんだよ!」
これはもちろん、小野塚くんがあっさり看破したことを受けての台詞です。
あらためて思う。
香藤くんは本当に、ホントに “似てる” と思ってないんだなあ。
岩城さんのDNAの片鱗。
まったくないわけはないのに、香藤くんは見えない。
見ようとしていない。
どうでもいいんでしょうね(苦笑)。
第三者の客観的な視点で翔くんを見る、ということもしていない。
その発想すら、持ちあわせていないようです。
というより、おそらく根本的に関心がないんだろうな。
最初に翔くんに会ったときから、香藤くんは一貫してるんですよね。
親身に話をきき、よく面倒は見る。
まっとうなアドバイスもするし、翔くんの身辺に過保護なくらい目を光らせる。
でもそれは全部、岩城さんのためだ。
岩城さんとの生活を守るためだ。
「後輩としてかわいい」 もゼロじゃないかもしれないけど、親愛の情はあまり感じない。
冷たいとはいわないまでも、無関心だよなあ、とは思う。
しみじみと、わたしは思い出します。
かつて岩城さんの実家でお正月を迎えた、あの若き日。
「いくら似てたって、俺は岩城さんじゃないものに興味なんてない」あっさり、そう言ってのけた香藤くん。
今となってみると、なかなか含蓄のある言葉ですね。
(ちなみに『剥奪者』は今でも、わたしにとって『
春抱き』オールタイムベストの話です。)
そうか。
たしかしそうだね。
なにも姿かたち、骨格や雰囲気だけの話じゃない。
声とか、匂いとか、仕草とか、考えかたとか。
魂のかたちとか、そういうもの全部ひっくるめて、香藤くんは岩城さんを認識してる。
そういうことでしょう。
翔くんがどんな人間であれ、岩城さんじゃないのは間違いない。
岩城さんではない以上、香藤くんが持てる関心は限られている。
岩城さんとの類似性を探してよろこぶ、そういう趣味はない。
そんなところでしょうか。
まして翔くんの容姿は、母親似=霧胡さんを彷彿とさせるわけです。
ま、香藤くんにとってはあんまり嬉しくないやね・・(汗)。
他方、岩城さんのショックは計り知れない。
このシーン、岩城さんの表情が見えません。
3コマ、5コマ、8コマ。
ずっと俯き、両手に顔をうずめる岩城さんしか描かれていない。
それだけで胸が痛みました。
岩城さんの顔を意図的に描かずに進行するシーン。
そういうときはいつも、ものすごーく深刻な葛藤を示唆しているからです。
以前でいうと、『冬蝉』の撮影中にそういうことがありましたよね。
恋するあまり仕事に専念できない岩城さんを、香藤くんが責めるシーン。
(あれはきつかった!)
こんな岩城さん、久々です。
彼の苦悩は当然でしょう。
そう。
香藤くんにわざわざ言われるまでもなく、わかっているんです。
岩城さんは、すでにぐるぐる考えてたはずだ。
絶望的な思いで。
なにかの拍子に父子関係がばれる、いや噂されるだけでも、翔くんのキャリアは終わる。
不義の子とか、隠し子とか。
その手のスキャンダラスな噂は(真相に関係なく)致命傷になる。
(岩城さん自身もダメージ食らうだろうけど、実績のあるぶん、終わるところまでは行くまい。)
それだけでなく、翔くんとその両親との関係も壊れる。
つまり翔くんの公私=人生すべてが、修復不能なまでに壊れる可能性すらある。
それを避けるためには、とにかく離れているしかない。
いっさい関係を持たないのがいちばん安全。
そんな状況で、映画の共演なんてとんでもない。
まして、親子役。
いつどこで、誰が「似てる」と言いだすかもわからない。
(翔くんに対してしれっと、まるで赤の他人のように振る舞えるのか、という問題もある。)
だけど共演を避けるためには、
「
紫衣翔との共演は嫌だから、息子役はほかの誰かに替えてくれ」
と自分から言わなくてはならない。
なにしろ主演だし、岩城さんの芸能界での影響力もあるから、そのわがままは通るだろう。
でもそうしたら、翔くんはどうなる・・・?
ほぼ無名の新人が、主演俳優にいきなりNGを食らう。
それが駆け出しの彼にとってどれほどのダメージになるか、計り知れない。
(翔くん自身はその理由がわかるけど、口が裂けても言えないし。)
おまけにそれは、口さがない人たちの憶測を呼ぶ。
「岩城京介はなぜ、あの新人を共演NGだと言ったのか・・・?」
(想像ですが、岩城さんの性格からして、その手のわがままをゴリ押ししたことなんてほとんどないのでは。)
マスコミがそれを嗅ぎつけ、何かある、と勘繰っても不思議じゃない。
↓
だからこそ、なにがあっても共演は避けなければならない。
(以下、ふり出しに戻ってループ再生。)
詰んだ、って思ってるだろうなあ。
岩城さんの悲痛の表情のアップ。
いきなりこんな辛そうな顔を見せられて、いったい何を言えというのか。
(と思いつつ、苦悩する岩城さんの美しさにゾクゾクするわたしって。・・・うぐ。)
当然ですが、一度は考えたことでしょう。
翔くんとの共演を避けるもうひとつの可能性。
それはもちろん、自分自身が降板することです。
でも、それをやったらどうなる・・・?
主演俳優が降りたら、おそらく映画の企画自体がぽしゃるでしょう。
持宗監督の渾身の作品はお蔵入りを余儀なくされる。
降板したい本当の理由をどうしてもいえない以上、身勝手だと非難されてもしょうがない。
それだけならまだいい。
岩城さんが非難されてそれで済むなら、彼ならやるかもしれない。
でもそれは、信義にもとる。
持宗監督との、いわば男と男の約束を反故にするわけです。
二人の間に存在する信頼関係を手ひどく裏切る行為。
いやあ、無理だろ。
圧倒的に無理だろ。
サシで呑んで、打ち明け話までされて、意気に感じて引き受けた仕事だ。
あの岩城さんが今さら、それを断るなんてできるわけないよ。
病気でぶっ倒れたとかならともかく、ね。
そのうえ岩城さんは、インタープロという会社を背負っている。
Jテレビ制作の映画の主役をいったんは受けたのに直前で降板なんかしたら、どうなる?
事務所は信用を失い、Jテレビとの関係は決定的に悪化してしまう。
(Jテレってのは大手も大手、在京のキー局だと思われる。なんとなく。)
社長だもん。
社員や所属タレントの手前、それもできないでしょう。
つまり岩城さん。
自分が犠牲になることすらできないのだと思います。
これまで岩城さんは、自分が翔くんに何もしてやれないことで悩んでいた。
身内の
洋介くんにはありったけの愛情を注ぎ、援助してるのに。
そう、身内なんだよね。
関係を大っぴらにしてなんら問題のない、そういう相手。
(表向きはもちろん、旦那の甥っ子として。岩城さん自身の心情としては、ほら、ね。
洋介くんはかつて胎内に宿し、やがて疑似的に産んだ自分の子供でもあるわけだ。)
洋介くんと翔くん。
岩城さんの意識下では、どちらも自分の子供なのだと思う。
だからこそ翔くんを、
洋介くんの境遇と比較してしまう。
さんさんと日の当たる場所にいる
洋介くんと、あくまで日陰の存在の翔くん。
その差は歴然としていて、残酷ですらある。
洋介くんにしてるみたいに、翔くんを助けてやれないだけじゃない。
プラスにならないだけなら、まだいい。
今回のことで、翔くんのキャリアにマイナスをつけてしまいかねない。
共演NGを出すって、そういうことだ。
自分が “実の子には障害になる” という、血を吐くような岩城さんの言葉。
どうするよ。
ねえ・・・?
この岩城さんの苦しみ、誰がわかるんだろう。
香藤くん・・・?
いや、ダメじゃないかな。
「気持ちはわかるよ・・・?」
旦那はそう言うけど、実際には理解してないように思います。
責めてるわけじゃないよ。
香藤くんはまるっきり、これっぽっちも悪くない。
「だけど、岩城さん・・・!!」
香藤くんにとって、大事なのは岩城さんだけだ。
掛け値なし、岩城さんさえいればいい。
岩城さんさえ生きてそこにいてくれるなら、他になにも要らない人だ。
そういう人に、今のこの岩城さんの苦しみはわからないと思う。
共感のしようがないと思う。
最後のページ。
ふと、
「ああ、亀裂が見える・・・」
と思ってしまった(汗)。
亀裂が大げさなら、微妙な心のすれ違いとでも。
ひょっとしたら、岩城さんもそれに気づいたかもしれない。
おしどり夫婦の間に突如みえた、なんらかの距離感。
岩城さんのことしか考えていない香藤くん。
究極的には、香藤くんは翔くんも洋介くんも二の次でしょう?
「どうでもいい」
とまでは言わないかもしれないけど、それに近い認識じゃないかしら。
岩城さんがすべて。
他には何も要らない。
でも、少なくとも今の岩城さんはそうじゃない。
事態はもっと複雑だ。
「香藤さえいれば、他にはなにも要らない」
とは、今の岩城さんは言わないでしょう。
(まあ、香藤くんを失う可能性との比較じゃないから、あまりフェアではないかもしれない。)
血を分けた子供の存在。
その事実を徐々に受け入れつつある岩城さん。
その子供のために苦悩しながら、彼はなんとなく悟ったかもしれない。
この苦しみは、香藤くんと共有できる性質のものではないって。
(現時点の)香藤くんは、岩城さんの煩悶を理解できないって。
香藤くんが、自分のことだけを思って言ってる
「それでも翔との共演はダメだよ」
ってのは正論なんだけど、それを拒絶したがっているのかもね。
それを認める = 翔くんの芽を摘むこと、だから。
うむむ。
どうするの、これ。
未だに 「あの子」 としか呼べない息子の窮地。
そこに突き落とすのが、他ならぬ父親の自分だという意識。
岐路に立つ岩城さん。
どうするの、これ。
●というわけで
感想は、もしかしたらまだ少しだけ続きます。
たぶん。
書けそうだったら。
では、またね。。。