●今月は
いったい、何回ブログを書いただろう。
何回しか、というべきか。
まことに不本意です。
申し訳ない。
●本当に
ご無沙汰しております。
みなさま、お元気でいらっしゃるでしょうか。
いつも拍手やコメント、その他はげましのお便り、ありがとうございます。
毎日こっそり、このしょうもないブログを覗きに来てくださるみなさまにも、心からお礼を申し上げます。
更新の間がこんなに開くようになってなってしまったのに。
何よりもありがたいことです。
気がついたらあっという間に、もうGWなんですね。
ついこの間まで桜を見ていたのに、時がすぎるのは早い、はやい。
本当に目まぐるしくて、くらくらしそうです。
このぶんではハナミズキも、藤の花も、まともに撮らないうちに終わってしまうんだろうなあ。
今年の花は今年しか見られないのに。
・・・などと、ちょっと惜しくなったり。
(もっとも諸般の事情で、愛用のカメラたちは封印されてます。手元にはしょぼいコンデジのみ。)
さて。
私事ですが、久しぶりに自分のPCに触りました。
ちょっとうれしい。
ふひひ。
いえね、とんでもないオンボロPCなんですよ。
(なんといっても、いまどきWindows XP搭載ですし。アリエナイ。いいのかホント。)
特別に好きとか、こだわりがあるとか、そういう意識はありません(笑)。
もともとハイスペックじゃないし、好きなメーカーですらない。
でも、これがないと始まらない。
ほかのものでは代用がきかない。
サイトも書きかけの小説も、動画も画像も、みんなここにあるから。
※セキュリティのため、コピーして外付けHDDに保管はしてますよ。
ユーザー辞書に覚えさせたあれこれも、ここにしかないメモ書きもある。
まさに、必要不可欠な存在です。
しかし、なんせ寿命がね・・・(汗)。
PCの耐用年数はとっくに突破していますので、ホント、いつダメになるやら。
明日いきなり動かなくなるかもしれないけど、でも、どうしようもないのよね。
「たのむから、ホント、無事でいてくれよ」
わりと必死で、真剣に、PCの健康長寿を祈るわたしです。
わはは(汗)。
●それにしても
熊本の
地震。
被災のスケールもさりながら、余震の頻発がひどいですね。
なんなんでしょうあれ。
余震・・・ってレベルを超えてるように思えます。
数が多い。
そしてひとつひとつが、それなりの規模でしょう?
(マグニチュードというよりも、震度でいうと。)
あれでは誰だって平静ではいられない。
地震酔いも心配ですが、なんというか、日常の生活を取り戻しようがない。
常に恐怖にさらされつづける半月というのが、どれほど心身に負担の大きいものか。
わたしには想像もつきません。
がんばれ、まけるな、と言われ続けるのにもうんざり、かもしれません。
東北のみなさんもきっと、そうだったんだろうな。
いまさらながらそう思ったり。
(あれは巨大な津波があまりにも大きな、おおきな one-off すぎて、他のことがかすんでしまったような気がします。余震ももちろんたくさんあったけれど、よほどの規模でない限り、そういうものだと思ってすごしていたかも。)
ニュースで見るよりほかない自分には、なにができるのか。
心配だっていうだけ?
募金はできるけど、それでいいのかという焦燥感は消えません。
(それと同時に、そうやっている自分のこの感情は偽善ではないのか、と思ってみたり。)
ボランティアに行く・・・?
物理的に、それができる状況じゃないのに。
いや、かりに行ける状態だとしても、どうなんでしょう。
現地で実際に必要とされている技術や知識を持っていればいいけど、そういうのはない。
力仕事ができるわけでもない。
足手まといになるだけかもしれないけど、それでもその志に意義がある・・・のか。
(でもそれって結局、行かずに済む理由をさがしているだけじゃないの、とか思ってみたり。)
わからない。
完全な正解はないのかも。
今この、被災の渦中/直後だけでなく、半年後も来年も、5年後も10年後も。
いずれにしても、長期の支援がいることはまちがいない。
ずっと関心を持ち続けなくては。
東北の大震災をも含めて、あらためてそう感じました。
ああ、もう。
結局、この程度のことしか言えないんだなあ。
月並みでもうしわけない。
そして末尾になりましたが、
熊本城。
深刻な被害を受けて、完全に修復するのには10年かかる、という話もあるそうです。
崩れ落ちた石垣は、たしかに痛々しかった。
(余震でいまだに調査できてない個所もあるとか。)
でも、不謹慎かもしれませんが、
地震後のお城をはじめて(テレビ映像で)見たとき、
「清正公のお城、ちゃんと建ってるじゃないか!」
って感じてしまったのですよ。
あっちこっち、深刻なダメージを受けているらしい。
だけど一瞥する限りでは、お城は今日もそこにある。
でんと、そこに構えている。
その威容は何も変わっていない。
そういう印象をもってしまった。
清正公が、そして細川の歴代のお殿様が、今の
熊本城を見たらなんていうだろう。
あれだけの
地震が来ても倒れない天守。
少しは、たいしたものだ、って思わないでしょうか。
(いや、もしかしたら清正公自身は、崩れてしまった石垣が不本意で不本意でたまらない、かもしれないけど。)
ものはまったく、ちがいますが。
東北の震災のわりとすぐ後、ちょうどGWに仙台に行きました。
それでね、友だちに案内してもらって、青葉城(仙台城)跡に行ったのです。
(『春抱き』仲間です。とてもたいせつな。)
まだライフラインも完全に復旧してないころで、夜の公園を、懐中電灯を持って歩きました。
(すみません。懐中電灯を持っていたのはわたしたちではなく、案内してくださった方々です。)
普段なら見渡せるはずのきらめく夜景が、そこにはありませんでした。
暗い、静かな夜。
そこで見上げた、かの伊達政宗公の騎馬像。
あれだけの
地震が来ても、ここは無事だったんだなあ、と。
政宗公はここにいる。
なんというか、切々と胸に迫るものがありました。
熊本城はそれと同じ・・・では、ないかもしれない。
でも、精神的に近いものがあるんではないか。
そう思いました。
わたしが
熊本城に行ったのは、どしゃ降りの初夏でした。
数年前のこと。
きっと、また来るよ。
今度は秋に、銀杏の木を見に来るから。
―――そのときそう思ったものですが、それは今も変わらない。
きっと、行くから。
10年後なんかじゃなくて、なるべく早く。
●というわけで
では、またね。。。