●一昨日は
「これでもか!」
というほどの晴天でした。
11月3日。
一点の曇りもない、まばゆいほどの、見事な青空。
秋というよりも、冬・・・を感じさせる空の色でした。
ええ、はい。
空の色だけは、ね。
ヾ(´▽`;)ゝ
「ちえこさん、これでも東京には空はない・・・って思うのかな」
などと、ふと、高村光太郎の詩を思い出してみたり。
いとしいなつかしい故郷の空と比べれば、まあ、いや。
比較のしようもないのでしょうが。
(そんな都会の空が、ふるさとの空だっていう人もいっぱいいるんだけどね!)
それはともかく、11月3日。
暑かった。
本当に、まじめに暑かった・・・!
il|i(p′Д`;)il|i
「いい天気でよかったねー」
といってたのは、早朝だけ。
お散歩日和の晴れ模様に、ケチをつけるつもりはないけど、暑すぎました(笑)。
最高気温はたぶん、都心で21~22度くらい?
だけど風があまりなくて、ギラギラ日差しが強かった。
体感ではおそらく、25度ちかい。
11月でギラギラ、ぴっかぴか。
さすがトロピカル東京。
たまらんぜ。
10月の土日、ほとんど雨に降られた。
思い返せば、ひどい
秋でした。
そのぶんの負債を一気に取り戻すような、まとめて返しますよ!みたいな晴天(笑)。
(υ´Д`)アツー
肌がひりひりするほど日焼けしたし、ホントにね。
(もちろん日焼け止めクリームは塗っています。一年中いつでも。)
「日傘・・・」
さすがに油断して、自宅に置いていったのは失敗でした。
(^~^;)
ちょっと極端すぎます、神様。
雨よりはいいけど。
●そんなわけで
朝の10時に、駒込駅。
『春抱き』仲間の数人と落ち合って、とことこ出かけました。
六義園。
りくぎえん、と読みます。
http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index031.html国の指定する特別名勝で、江戸でも随一の名園。
都内でもっとも有名なお庭のひとつです。

以下、
歴史オタクのうんちく。
歴史をひもとくと、江戸時代。
五代将軍の徳川綱吉(つなよし)の側用人(そばようにん)、柳澤吉保(やなぎさわよしやす)のつくった庭園です。
綱吉と吉保。
・・・というだけで、萌えを発動させる人もいるかも(笑)。
(ちなみに我々の脳内イメージは、綱吉=竹脇無我、吉保=石坂浩二。大河ドラマ混ざってますね。)
「そーいう関係」 だったかどうか、事実は知らない。
噂は昔からものすごくあるけど。
ただ柳沢吉保が、将軍綱吉にめちゃくちゃに寵愛されたのは、まぎれもない事実。
※「寵臣」という言葉に、そーいう意味はないです。本来。
※いちおう記しておくと、綱吉のほうが吉保より13歳ほど年上。
下剋上アリの戦国時代までとちがって、江戸時代です。
身分はほぼ固定されていて、この時代になって 「異例の立身出世」 はまずありえない。
それなのに、吉保はすごいの。
家督を相続した時点で、禄高は500石くらい。
館林藩の、下級武士のひとりって感じです。
※綱吉はこのころはまだ将軍になっておらず、館林藩藩主です。
禄高というのは武士の年収ですが、後々これが倍々ゲーム的に増えていく。
(´∀`σ)σ
吉保は、主君である綱吉が五代将軍となって江戸に入ったのを機に、ものすごい勢いで出世します。
ヽ(・∀・)ノ
出羽守に任じられ、小納戸役から側用人へ。
「側用人」というとなんとなくあんまり偉そうな気がしないけど、なんつうの?
将軍の側近中の側近で、参謀で、内閣官房長官みたいな役割。
ワンマン社長(将軍)が、煙たい保守的な取締役たち(老中)を遠ざけて経営を自由にするために置いた、直属の特別補佐官。
・・・ですかね。
「上様のご意向です」
といえば、日本中で誰も彼に反論することはできない。
そのぐらいの影響力があったと思います。
禄高のほうも、200石を加増、1000石を加増、10000石を加増とエンドレス。
※一般的には、1万石を超えると 「大名」 です。
江戸のお屋敷をいくつも、綱吉から与えられる。
しかもそのお屋敷に、将軍はしょっちゅう遊びに来る。
将軍が外出することを 「御成」(おなり) といいますが、あれだ。
記録があるだけで、綱吉は、
六義園に58回!も御成したんだそうです。
どんだけ。
(記録にないお忍びとか、吉保の他の屋敷への訪問を加味すると、余裕で100回とか超えてそうね。)
老中(大老格)にまでのぼりつめ、最終的には20万石ちかい所領を賜る。
そのうえ、なんと 「松平」 姓を名乗ることを許されます。
(〃∇〃)
ご存知のとおり、松平といったら、要するに徳川家の身内あつかいです。
(徳川家康の直系の一族だけが「徳川」を名乗り、それ以外の親族は「松平」という伝統です。)
将軍に仕える武士にとって、究極の名誉といってもいい。
吉保、どんだけ将軍に愛されていたのか。
もとい、信頼されていたのか(汗)。
壮絶なえこひいき・・・?
だと、思われていたでしょうね。
そんなレベルじゃないと思うけど。
仮にどれだけ吉保に能力があっても、江戸時代は実力主義社会ではない。
どの家に生まれたかが、すべての世界です。
周囲の羨望・・・どころか憎悪は、凄まじいものがあったと想像します。
とはいえ、おもしろいことに、綱吉の隠居後/死後。
吉保は政治の表舞台を去りますが、ふつうに隠居して、息子たちが所領を継いでいる。
とくにパージされた様子はない。
表向きは、権力の座から追い落されて悲惨な目に遭った・・・ようには見えません。
ってことは、そこまで嫌われてはいなかったのかな。
いや、好ききらいの問題じゃないですね。
権力の濫用や私腹を肥やす不正があれば、きっと(綱吉の死後)追放されていたんじゃない?
あからさまにそういうことをするほど馬鹿ではなかった、ってこと?
・・・なんて考えています。
ちなみに>>
蘊蓄ついでにいうと、徳川綱吉。
世間一般的には「犬公方」だとか、非常に評判が悪い。
かの浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に刃傷に及んだとき、即日の切腹を命じたのも綱吉。
綱吉といえば、悪政をしいたバカ殿の代名詞。
・・・みたいなイメージが強いのですが、ご存知ですか?
もしかしたら、それは誤った認識かもしれません。
文治政治を推進した英邁な将軍だった、という再評価が最近のトレンドです(笑)。
このあたりは、もし興味があればググってみてね。
と、まあ。
柳沢吉保とは、将軍綱吉とセットで、とても興味深い人物なわけです。
その吉保が、情熱を傾けた
六義園の造園。
綱吉も何度も訪れた、天下の名園。
ふう。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、そんなわけで
六義園。
行ってまいりました。
●
六義園といえば
四季折々の花と樹木が美しいことで知られています。
なかでも、桜は有名です。
何年も前になりますが、ちょうど桜の時期に
六義園に行ったことがあります。
以下は、そのときの
写真。
過去ブログにアップしたものです。




撮ったのが、7年前くらい。
今見るとかなりヘタッピーですが、そのあたりはスルーで(汗)。
そもそも桜の大木の全体像がない。
それはね、ものすごい数の観光客がひしめいていて、なんというか。
人間を写さずになんとか撮ろうとした、そのせい・・・ではないかと思います。
ヾ(´▽`;)ゝ
で、こちらが、11月3日の桜。
おんなじ樹です。

さくらもみじ、という言葉があります。
桜の葉っぱは
秋にきれいに色づくからですが、さて、これはどうかなあ。
葉が赤くならず、枯れて黄色っぽいというか、茶色気味というか。
ちょっと残念な見かけかもしれません。
そのせいで、誰もいない(笑)。
この名木を独り占めできるのは、季節はずれ故の贅沢ですね。


この庭園の見どころ。
吉保が好きだった和歌の世界、とくに古今集のイメージでつくられているところ。
「回遊式築山泉水庭園」 というつくりです。
平地に山を築いて起伏をこしらえ、川の水を引いて潮の満ち引きのある池をつくった。
ひろいお庭を
散策すると、こまやかな美意識が見てとれます。


滝見之茶屋。
お茶室風というか、禅寺の寺院みたいな四阿(あずまや)に、工夫を凝らした窓。
瞳のかたちをした窓と、四角い窓。
その向こうには小さな池があって、ミニチュアの滝が奥にありました。
咲いているのは、つわぶき。
付近にはホトトギスや女郎花の花も見えました。
飛び石を伝っていくと、きれいな湧き水にはアメンボがつーいつーい。
おお。
最後にアメンボを見たのって、いつだろう。

ふと足元をみると、赤い実がいっぱい。
これだけできれい。
落ち葉を踏みしめるきゅ、さく、くしゃ、という音もいいなあ。

見上げると、うっそうと茂る巨木たち。
カエデたちは、まだ青々としていました(笑)。
カエデの
紅葉が見ごろになるのは、たぶん11月も終わりごろですね。
そのころにまた来たいなあ。


森林浴。
みたいなものですね。
照葉もみじ・・・うん。
といってもまだ青いけど、キラキラと輝いていました。

銀杏の古木。
なんだこれは、というぐらい背が高い。
下のほうに枝がほとんどないから、箒のように見えました。
こういうのを見ると、ちゃんと人の手が入っているんだなあと実感します。

六義園のすごいところ。
柳沢吉保の死後も、明治になるまで、ここはずっと柳沢家の所有だった。
そのおかげで将軍綱吉の時代の造園の様子が、そのまま残されている。
その後、かの岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者ね)が購入。
荒れていた庭園を整備して、今見るかたちになったそうです。
関東大震災が来ても、東京大空襲があっても、六義園は不思議と難を逃れた。
それはもう、奇跡なんじゃないかと思います。

そう思うと、立ち枯れの紫陽花すら、造形美の極致に見えてきます。
よね。
●では、
写真はまだ続きます。
またね。。。