●いちおう
冷静にいうと、あれです。
保護責任者遺棄致死で8年というのは、長いほうだ。
つまり、これまでの判例に照らせば、まあまあきびしい判断だと思う。
(検察側の求刑は11年。)
うん。
母親に懲役8年=目黒5歳女児虐待死-東京地裁目黒虐待死事件 母親に懲役8年の判決 東京地裁が、しかし。
この 「懲役8年」 に妥当感は・・・あんまりない。
ないです。
長いともいいがたい。
10年でも、20年でも、まだ足りない気がする。
仮に、まるまる8年間おつとめをしたとしても、ほら。
彼女は若いので、35歳で出所するよね。
35歳かあ。
若い。
若いよね。
で、その後の長い人生を、つつがなく暮らすの・・・?
たった5歳で命を奪われた女の子は、何があっても、戻ってこない。
小学校に行くことも、将来の夢を見ることもない。
永遠にいなくなってしまった。
世の中の楽しいこと、嬉しいこと、おいしいこと。
ひもじさも、こわさも、痛みもない世界。
どのくらい知っていたんだろう。
やりきれない。
本当に、やりきれない。
かわいい、小さな女の子。
お母さんが大好きだった、というけどさ。
ほとんどの子供は、お母さんが大好きなもんだ。
たとえ
虐待をする親であっても、大好きなもんだ。
幼ければ幼いほど、そうだ。
だって、他の世界を知らないもの。
大人のいう 「大好き」 とはちがって、他に選択肢がない。
比較も、批判もできない。
親は、文字通り、子供の生殺与奪のちからを持ってるものね。
全知全能の神様みたいなもんだ。
そういう存在を否定するような精神性が、ちいさな子供にあるわけない。
お父さんとお母さんが、その子の全世界だ。
「お母さんが大好きだった」
という言葉は、むなしい。
相手が
虐待者であっても、その手にすがるしかない。
いや。
小さすぎて、それが不条理な暴力だということすら、わかってなかったでしょう。
なぜ自分がこんなにひどい目に遭うのか、わかってすらいない。
という以前に、それが不当な仕打ちであったことすら、認識していたかどうか。
無垢な無知。
いたましくて、たまりません。
被告を責めるのは簡単だ。
鬼畜の所業。
親としての責任放棄。
いじめ。 弱いものいじめ。
人間として、終わってる。
―――虐待はゆるせない。
あたりまえだけど。
でも、ちょっとだけ思う。
わたしは子供を持ったこともないし、DV被害に遭ったこともない。
だから、被告の気持ちをどこまで理解できるか。
たぶん全然、わかってないんだろうとは思う。
DV被害者が、暴力的な支配者に、どのくらい洗脳されてしまうものか。
恐怖に支配され、フリーズし、自分の意志で動けなくなるのか。
わからないし、正直、想像もつかないのだ。
怖くて、まっとうな判断力を失う。
うん、そうかもしれない。
でも、その小さい子供を守れるのは、お母さんしかいなかったのに。
実の母親。
恐怖の支配者は継父であって、子供からみれば他人だ。
お母さん、あなたにしか、子供を助けるチャンスはなかったのに。
あなたは知っていたのに。
この小さな女の子が、どれだけ酷い目に遭っているのか。
他に誰もいなかったのに。
懲役8年でも足りないと思うのは、そこですよね。
女の子にとって、あなたが唯一の、そして最後の救いだったのに。
恐怖に凍りついて、何もできなかったのか。
虐待に加担し、見殺しにしたのか。
その罪がいかに深いか。
ねえ。
●この夏
話題になった本があります。
山田詠美の 「つみびと」 という小説。
https://dokushojin.com/article.html?i=556910年ほど前に、世の中を震撼させた虐待事件がありました。
みなさんもきっと、覚えていると思う。
大阪のマンションで、3歳と1歳の幼児ふたりが置き去りにされ餓死した事件。
当時23歳の母親が、最終的に懲役30年の判決を受けて服役中。
この事件を題材にした小説で、かなり評判になっています。
辛そうなので、あれだけど。
だけど気になるので、そのうちきっと読むんじゃないかな。
小さな子供の虐待と、母親の責任。
父親の不在。
―――という意味では、目黒の事件と共通点があります。
では、またね。。。