●TBのお題から
「年賀状を出す予定ですか?」
いいえ。
出しません。
もうずっと出しておりません。
(´-`).。oO...
●久々の
歌舞伎座
は、ほぼ満員でした。
華やか、にぎやか。
貸切公演の日だったようです。
※これについても詳細は避けますが、貸切といっても、ひとつの団体が小屋ごと借りてるわけじゃない。
席数か、ブロックかは知りませんが、たくさんの団体が分け合っているのだと思います。

「たぬき」
市川中車、こと香川照之が主演。
板についてきましたね、中車。
歌舞伎役者らしく、板になじんでいるというか。
もともと達者な役者なので当然と思われるかもしれませんが、ほら。
歌舞伎役者としての呼吸、たたずまい、存在感。
そういうものが出てきたように感じました。
今までは、現代役者が
歌舞伎座で
歌舞伎役者を演じてる、みたいな。
そういうふうに思ったこともありましたけど。
うまかった。
ちなみに初めてみたけど、たぬき。
コミカルに始まってだんだんシリアスな展開になる、とてもおもしろいお芝居でした。
「村松風二人汐汲」
梅枝(ばいし)と
児太郎の踊り。
児太郎ももちろんいいのですが、
梅枝のうまさが光った。
いつの間に、こんなに洗練された女形になっていたのか。
いや、目からうろこでした。
なるほど玉さまにしごかれて、阿古屋をやるだけのことはある。
いまや女形は、本当に貴重です。
本当に数が少ないだけに、彼らのような若い世代が伸びてくれる必要がある。
あ、
児太郎?
もちろん好きです。
きれいで、朗々とした声もよく、存在感がある。
(「たぬき」にも登場して、ひときわ華やかでした。)
さすがは成駒屋。
お父さんの
福助が健康でいるならば、次世代女形トップ・・・かもしれないよね。
というか、そうか。
お父さんが予定どおり歌右衛門を襲名していたら、彼は
福助になっていたはず。
はやく、襲名が実現しますように。
つか
福助おねがい、戻ってきて。
●玉さま
歳をとったなあ、とは思いました。
※客観的にみて、いまでも十分にお美しいですよ。
舞台に登場して、全身から醸し出される輝きというか、まばゆさというか。
どんな役なのかに関係なく、ほとばしる存在感というか。
玉さまオーラ。
あの凄みのある、まぶしいばかりの、圧倒的な神秘のヴェール。
バーン!!! と、その場を威圧するばかりの。
―――全盛期の彼だけが持つ、なんだろう。
スターの証・・・?
それは、なかった (減った) ように思う。
うん。
だから、若干なんというか、しぼんだなという印象はあった。
あたりまえだ。
わたしが最初に玉さまを観てから、ゆうに30年は経つ。
いくら美魔女でも、変化がないわけがない。
でも。
でも、ね。
だからこそかもしれませんが、たおやかなしなやかさ。
行方をしらない恋人を思う、女の哀れさ。
悲しみ。
―――そういうものは、ぐっと心に刺さりました。
問答無用に輝いてしま・・・わないからこそ、お芝居になじむ。
あでやかな衣装なのに、さびしげ。
哀れ。
ものがなしい、しおれた風情。
いや、きれいですよ。
もちろんきれいなんだけど、若いころの迫力というか。
なんかね、ちがうんだよ。
でも、これもあり。
こういうのもいい。
阿古屋として、このほうがいいのかもしれない。
なるほどこれが芸のなせる技なのか、と思いました。
阿古屋というのは、立女形の大役中の大役、と呼ばれています。
游君(遊女)のしての華やかさ。
(かつらと衣装で、重さは30キロ近くになるともいわれます。)
恋人の身を思う若い女性としての悲しさ。
それらを表現したうえで、なお、三つの楽器を弾かなくてはなりません。
琴を弾き、三味線を弾き、最後に胡弓をひく。
その楽曲の音色に、恋しい思いがにじみ出る。
・・・という、無理難題をこなさないといけない。
もう長いこと、この役をできるのは玉さまだけでした。
今は少しずつ、若手の役者に教えている。
独り占めしない。
おまえには出来ない、ともいわない。
伝統を受け継ぐって、そういうことなんですね。
では、またね。。。