●ゼレンスキー大統領
よく日本に来れたなあ。
これをきっかけに、いい方向に進むといい。
―――切にそう願ってますが、どうなんでしょう。
●バーベナ
わたしの宿根バーベナは、順調に育っているみたい。
(//∇//)
荒れ果てたしょうもない庭に、可憐に咲く感じがたまらん。


うひひ。
アナガリス
・・・やっぱり元気がない
ポーチュラカ
・・・旺盛に茎をのばしてはいる(が、晴れない日が多いので
花はちょびっと)
バーベナ
・・・今のところ順調に育成中のようだ
超絶初心者には、
花が咲いてくれるだけでありがたい。
単純に、うれしい(笑)。
アナガリスがイマイチなのは、うにゅにゅ。
ヾ(´▽`;)ゝ
申し訳ないとは思うけど、原因がわかりません。
なんとかレスキューしたい。
●新聞の
オワコン感は異常。
本当にね。
(^~^;)
「昨日のニュース」しか載っていない新聞はいつ完全消滅するのか正直、うちは諦めてます(笑)。
親が元気でいるうちは、紙の新聞を購読し続けるだろうなあ。
値段は上がる一方だし、内容は薄くなる一方。
情報としての価値という意味では、ほぼゼロ。
だって、まさに 「昨日のニュース」 しか載ってないもんね。
(昨日どころか、おとといのニュースってことすらある。休刊日が増えたから。)
この記事にあるとおり、夕刊は2枚、3枚の紙がぴらっと。
うっすいうっすい。
大半は広告で、やっぱり情報としての価値は感じない。
「はい、夕刊ちゃんと発行しましたよ」 という、言い訳的な存在。
うん、意味ねえ。
(((((((;´д`)))))))
やめていいとは思うけど、親が新聞だい好きだからなあ。
休刊日とかね、つまらなそうだもの。
毎日ポストに読むものが届く、それが日常なんでしょうね。
こんなふうに、今はまだ。
アナログ民がそれなりに存在する限りは、紙での発行は続くんでしょう。
といっても今のボリューム読者層、つまり高齢者は、いつまでも存在するわけじゃない。
そろそろ多死社会が到来する、そうしたら終わりですよね。
終わっていいよ。
で、新聞社は本気で、紙の新聞なしでのサバイバルを考えなくちゃいけない。
(というか、もうとっくにそっちにシフトしてなくちゃいけない。)
紙の新聞の需要はおそらく、あと5年か10年で消滅する。
(実際に消えるというより、採算がとれなくなって維持できなくなる。)
だけど、新聞社の発信する情報へのニーズが消えるわけじゃない。
新聞社がつぶれてしまっては困る、はず。
たぶん。
たぶんね。
では、またね。。。