☆ ☆ ☆
「・・・泣きそうな空模様だな」
レンジローバーのドアを無造作に閉めて、岩城は空を仰いだ。
「えっ、なに?」
ニキが後部座席から降りるのに手を貸していた香藤は、岩城の言葉を聞き逃して振り返った。
「いや、空がな」
「うん?」
「なんだか、雨になりそうな感じだろう」
「そうだね」
少し笑って、香藤は肩をすくめた。
「この時期のロンドンなんて、こんなもんじゃない?」
「こんなもんって、なあに?」
精一杯に背伸びをして、ニキが大人の会話に割り込んだ。
「くもり空だから、雨が降るかなって思ったんだよ」
岩城は笑いながら、ニキのダッフル・コートの前を留めた。
「寒くないか、ニキ?」
「ううん、ぜんぜんへいき!」
無邪気な笑顔で、ニキは岩城が差し出した手をしっかりと握った。
そのまま自然に、もう一方の手を香藤に向けて伸ばす。
「あのね、あのね!」
息子とおそろいのコートを着込んだ香藤が、笑ってその手を取った。
「うん、何?」
「おばあちゃんのおうちではね、くりすますになると、ゆきがいっぱい・・・」
そこまで言いかけて、ニキははっと息を呑んだ。
きゅっと唇を噛んで、困ったように香藤を仰ぎ見る。
「・・・えっと、ニキ、それさ・・・」
ほんの少しだけ気まずそうに、香藤は頭をかいた。
―――子供特有の、動物的な勘のよさとでも言うのか。
誰が咎めたわけでも、それとなく匂わせたわけでもないのに。
ニキは岩城の前では、自分の母親の話をしない。
いつの間にかしなくなった、というべきか。
うっかりその話題になってしまうと、慌てたように口を閉ざす。
申し訳なさそうに、少し傷ついたような瞳で岩城を見上げながら。
その幼い気遣いが、ふとした拍子に香藤の胸をつく。
「オーストリアの、どの辺なんだ?」
ゆったりと歩き出しながら、岩城がニキに微笑みかけた。
「え・・・と?」
もじもじと視線を泳がせるニキの様子に、香藤が苦笑した。
岩城はそれに気づかないふりで、言葉を継いだ。
「ニキのムッターのお母さん、なんだろう?」
「う、ん」
「・・・岩城さん、あの」
何か言おうとした香藤に、岩城は素早く首を振ってみせた。
『いいから』
『でも』
黙ったまま、目線で交わされる会話。
「雪がいっぱい降るなら、山のほうなんだろうな」
「うん、しょう」
ためらいがちに頷くニキの頭を、岩城は軽く撫でた。
「寒いのかな?」
「さむくないよ。ゆきがいっぱいふって、みんなすきーをするの」
「ニキは、スキーができるのか」
岩城の言葉に、ニキはやっと白い歯を見せた。
「うん! みんなできょうそうしゅるとね、ぼく、いちばんはやいんだよ!」
「そうか」
嬉しそうなニキに、岩城が微笑み返す。
子供の手のひらを握り直して、香藤はほっと吐息をついた。
「そこの角を曲がると、ハロッズが見えるから・・・」
道筋を説明する言葉は、岩城の問いに遮られた。
「そういえば、香藤はスキーできるのか?」
「俺? いや、俺はあんまり・・・」
きまり悪そうに、香藤は首を振った。
「ほら、俺はもともと、ウォータースポーツ系だからさ」
「だでぃー、すきーしないの?」
きれいな緑色の瞳が、信じられないと言わんばかりに丸くなった。
「できないの?」
「うっ・・・だ、だから、俺はね」
「じゃあ、ニキに教えてもらわないといけないな」
香藤の弁明を封じるように、岩城がにこりと笑った。
「きゃははー!」
「今度、三人でスキーに行こう」
「うん!」
躍り上がりそうな勢いで、ニキはぶんぶんと頷いた。
「岩城さんは、滑れるわけー?」
わずかに拗ねて頬を膨らませ、香藤が聞いた。
その頬に触れながら、岩城はとびっきりの笑顔を返す。
「誰に聞いてるんだ。俺は、新潟の生まれだぞ?」
「あ・・・っ」
「こっちの警察のトレーニングでは、スキー講習もあったしな」
「そ、そうなんだ」
バツが悪そうに相槌を打つ香藤に、岩城は笑いかけた。
「まあいい。年が明けたら、スキー旅行でも計画しよう」
「うん、そうだね」
「あ、ゆき!!」
大声を上げて、ニキが走り出した。
「おい、ニキ!」
人混みをかきわけて、慌てて香藤が後を追った。
「ごめん岩城さん、俺、ちょっと先に行くから!」
「いいから、目を離すなよ」
ニキの背中を追いながら、岩城も足を早めた。
「ゆきだよ、ほら、だでぃー!」
スキップしながら、ニキが空に両手をかざした。
「わーい!」
ひらひら、ちらほらと、風花が舞い落ちる。
ロンドンの街には珍しい、今日はホワイト・クリスマス。
「こら、ニキってば!」
「こっちこっち、だでぃー!」
雪にはしゃぐ子供と、それを追いかける若きF1チャンピオン。
二人の姿を眺めて、岩城はそっと微笑した。
おわり
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ましゅまろんどん
2008年12月25日
ロンドンにて