●TBのお題から
「あなたのカラダ、堅い? 柔らかい?」
かたいよ。
うん。
しょうがないね。
●週末のお茶
なぜか、久しぶりだったどとーる。

新製品の
モンブラン。
・・・なんて聞いたら、試さずにはいられない。
まーるいドーム型はツボです。
「前の
モンブランも好きだったけどな・・・」
見た目はともかく、前のほうがこってり感があったかも???
https://www.doutor.co.jp/dcs/menu/list/sweets.html
中身はこんな感じ。
(食べかけですみません!)
「おいしいけど、特に
モンブランっぽい感じはないな・・・」
わりと軽い風味でした。
この写真を撮ったあとで、中央部分で栗のカケラを発見。
「おお!」
マロンで浮上しました(笑)。
小鳥さんは
モンブランなし。
「要らないの?」
「要らん」
あ、そうですか・・・(笑)。
ところで>>
今さらだけど、
モンブランのリニューアルよりもショックだったこと。
どとーるの、
「午後2時以降は、ケーキ+ドリンクで500円」
っていうの、とっくに終わってたのね(汗)。
増税のタイミングだったのかな?
ここ半年ほどまったく縁がなかったので、知らなかったよ。
※今はかわりに、ケーキとセットで注文するとドリンク50円引き。
「うっそお・・・」
ワンコインで
ケーキセット。
都心ではまず他にありえないほどのコストパフォーマンスだったので、がっくり。
今まで知らなかった自分にもびっくり。
「こうやって、ひとは世の中に取り残されていくのね・・・」
あうう。
●こういうのって
どこか違和感が。
差別表現「びっこ」使ったとTBSラジオ番組が謝罪 ネットでは「言葉狩りだ」と疑問の声放送問題用語「びっこ」という言葉。
(ほかにも差別表現は多々あるので、あくまでこれは一例。)
差別的に、侮蔑の意図を持って、悪口として使われることもあるでしょう。
それを聞いて嫌な思いをする人、聞きたくない人もいるでしょう。
ネガティブなイメージの強い言葉。
トラブルの元になる可能性が高い言葉なら、可能なら、使わないほうがいい。
そのほうが無難。
・・・そう考えるのは、わからないわけではないのです。
でも、その反面、どこかちがう気もする。
その言葉を、マイナスの感情いっさいナシで、ごくふつうに使うのは許されないの?
「こないだ足くじいちゃって、今ちょっとびっこ引いてるんだよね」
と口にするとき、そこに差別や侮蔑の意図はない。
連想すらない。
たまたま、その言葉がいちばん適切な状態があったというだけ。
「
言葉狩りではないのか」
という反論があるというのも、わかります。
今回の件。
「放送用語として適切ではない」
ということなので、私人が会話するケースとはちがう。
だからしょうがないよ、という気もする。
でもね、個人的には、
「ハゲ」
「ちび」
「ブス」
「でぶ」
あたりのほうが、ずっとずっとずーっと、ひとの心に刺さると思うんだ。
そういう言葉に、実際に傷つく人は多い。
それでいじめられた人も多い。
「びっこ」や「めくら」だと、アナウンサーが血相を変えて謝罪するのに、お笑い芸人が
「ほんまにブスやなあ、おまえ」
「ハゲちらかして恥ずかしいわ!」
って言うのは、なんで放送していいのさ?
制限すべき言葉のリストに入ってるわりには、使用されてない・・・?
自分の力ではどうしようもない、生まれつきの身体的特徴をけなす。
罪は同じだと思うんだけどなあ。
「部落」という言葉もそうですよね。
本来は単に集落とか村落とか、そういう意味。
そこにネガティブもポジティブもない、一般名詞のはず。
でもいろいろ複雑な歴史とニュアンスが重なって、ふつうに使える言葉ではなくなってしまった。
(ように思える。)
「つんぼ桟敷」だとか、「めくら判を押す」とか。
そういう慣用表現も、軒並みアウトなんですってね。
(そもそも意味が差別的なのは本当なので、わからなくはないけど。)
「ぎっちょ」もダメだ、という説もある。
適切な、自然な言い換えの表現があればいいけど、ない場合も多いから困ります。
もやもやしちゃう理由は、明確な線引きができないから。
どの言葉にどの程度の「毒」や「悪意」を感じるかって、個人差がある。
言葉そのものよりも、それをどう言うか、にも影響される。
「アホやなあ」
って、言いかたひとつで愛の言葉にもなるし、侮蔑のセリフにもなるでしょう?
それと同じで、言葉ではなくて、それを言う人の心の問題。
そして、それを受け止める人の心の問題。
そこに客観性はない。
絶対的な正解もない。
で、客観的に可否を判別できないものだから、
「えい、めんどくさい! 何もかもひっくるめて、全部アウトにしちゃえ!」
それが
放送禁止用語の実態、みたいな気がするのですね。
放送禁止用語一覧よくよく見れば不躾な表現もたしかにある。
でも、差別的な意図をもって使われているとは限らない。
というか、当事者には悪意がないことのほうが多い。
表現の自由を奪ってはいないか。
過剰な規制になってはいないか。
ことばの意味は時代とともに変化する。
昔はネガティブなニュアンスのあった言葉も、そのうちそういう暗い意図のない、
“ふつうの言葉”
になって行くかもしれない。
その可能性を奪ってはいないのか。
あれこれ、考えてしまいます。
●では、
またね。。。