●雨・・・
晴れるって聞いたのに、また雨。
ずーっと雨。
うう。
この時期の雨は、降るたびに寒くなるからなあ。
紅葉を散らしてしまうし、洗濯物は乾かないし、いいことないですね・・・(汗)。
●阿蘇の噴火
ストロンボリ式噴火、というらしい。
御嶽山が噴火して、長野で大きな地震があって、こんどは阿蘇?
なんの繋がりもないのかもしれないけど、なんとなくいやな感じ。
これ以上なにも起きないといいのですが。
●こういうのは
意外と知らないですよね。
刑務所に「車検」を頼むと、4万円も安くなるへえ、という感じ。
調べてみると、
「外(一般企業)からお仕事を受注する刑務所」
というのは、案外とあることがわかりました。
これは、法務省のサイト>>
刑務作業のご案内あまりに素人っぽいつくりで、とてもお役所のサイトには見えないけど。
作業の幅も広いし、商品カテゴリもけっこうあって、意外なものも少なくない。
家具や食品までつくってるんですねえ。
一般向けに、こういう商品の即売会もあるそうです。
刑務所でつくったものを販売する、専門のオンライン・ショップまである。
ほんと、知る人ぞ知る、かもなあ。
中には、抵抗を感じる人もいるかもしれません。
受刑者ってつまりは、有罪判決を受けた人だものね。
「そういうのはイヤ」
忌避したくなる感覚はわからないでもない。
でも現実的に考えて、彼らに “手に職” をつけさせるのは、絶対に必要なことなのだと思います。
いちど服役した人の、再犯率は高い。
もちろん個人にもよるし、年齢や性別や居住地や、犯罪のタイプにもよる。
家族のサポートがあるとかないとか、その他もろもろの事情次第、だとは思います。
でも、犯罪をくり返すもっとも大きな理由は、お金がないから。
まっとうにお金を稼ぐ手段がないから、また罪を重ねるというケースは、残念ながら非常に多い。
お金さえ稼げれば、更生の可能性は高くなる。
もちろん手に職があっても、簡単に就労できるとは思わない。
でも、ないよりはずっとマシ。
就労してくれたほうが、社会にとっても有益なのだと思います。
ところで>>
この、
「囚人に社会で通用するスキルを身につけさせ、社会復帰後の自立を支援する」
という発想。
近代的な考えかた、だと言っていいでしょう。
刑務所を単なる 「懲罰の場」 ではなく、 「更生・教育施設」 と考えるわけですから。
これを、
①世界で最初に思いついた(公に提言した)のは誰か?
②世界ではじめて実現したのは、どの国か?
③それはいつのことか?
ご存知でしょうか。
意外と、知らない人が多いのではないかと思います。
答えは、
①
長谷川平蔵宣以(のぶため)
②日本
③寛政2年(1790)
です。
1790年。
すげえ・・・!
時代区分でいうと江戸後期、ということになります。
考えてもみてください。
1790年といったら、フランス革命の翌年です。
人権宣言(1789年)もびっくり、かも?(笑)
そんな早い時代に、江戸には 「
石川島人足寄場」 が出来ました。
軽犯罪者を対象に、生活指導や職業訓練を行った。
・・・というだけでもスゴイけど、仕事をすれば、給料もちゃんと支払われたとか。
医者や僧侶などもいて、今でいう医療&カウンセラー?的な役割を果たした、とか。
まして、受刑者が出所する際に、保証人サービスもあったというからびっくり。
(誰かが身元を保証しないと、住むところも借りられないため。)
問題もいろいろあったようですが、やがて各地に寄場がつくられ、明治に入って廃止されるまで続いたということは、矯正施設としての意義があった、ということでしょう。
江戸時代のお侍さんが、よくぞこんな進歩的な発想をしたものです。
で、このお侍さん。
400石のお旗本です。
長谷川平蔵と聞いて、あれれ、と思ったかたもいらっしゃるかも。
そうです、鬼平さんです(笑)。
かの、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長官。
実在の人物で、石川島に寄場を設置するよう提言したのが彼。
寄場の初代所長になったのも、彼。
(これはもちろん、ときの老中・松平定信がOKを出したから、なんですが。将軍は11代徳川家斉で、当時17歳くらい。)
ホンモノのほうの平蔵、と言っておきましょう。
※彼が「鬼平」と呼ばれていたというのは、池波正太郎さんのフィクション。
長谷川平蔵が、火付盗賊改方の長官として、有能だったのは事実です。
でも
歴史に残る業績という意味では、人足寄場を思いつき実現させた、そのほうがずっと大きいと思います。
以上。
本日のウンチクでした・・・(汗)。
●
薔薇の
写真を
少しだけ。


冬
薔薇(ふゆそうび)、ですね。
先週、さんぽのついでに遭遇しました。
ヘンリー・フォンダって、黄色い
薔薇のイメージだっけ・・・?
と思っていたら、そういうことではないらしい。
どうも、彼が黄色い
薔薇を愛したから、というのが名づけの由来のようです。
ぱっきーんと朗らかな、純度の高い黄色。
くすみのない黄色。
とてもきれいなバラでした。

緋扇、という名前がうつくしい。
赤い、もしくは朱色の巨大輪だそうです。
でも、咲いていた唯一の株が、こんな状態で・・・(汗)。
とりあえず撮影したものの、これじゃちょっと気の毒かも。
本来はもっともっときれいな
薔薇のはず。
・・・で、出直して来ます。


そして、相変わらずのノックアウト勢(笑)。
病気にも悪天候にもつよいという評判通り、冬空にもめげず、元気に咲いていました。
一重なので、ちょっと開きすぎるとひらひら頼りない感じ。
でも、これはこれで可愛い。
見慣れてくると、ノックアウトは見てすぐわかります(笑)。

まず、名前がかわいい。
ハニーブーケ。
やわらかい、クリーム色寄りの黄色の
薔薇です。
画像検索をするとわかりますが、本当はもっとあでやかで美しい。
これはたぶん、凍えてちょっとかわいそうな個体だったのだと思います(汗)。

フロージン82、という名前の薔薇。
これも、あんまりいい状態ではないですね・・・(汗)。
薔薇園も終わりかけなので、しょうがないかなあ。
本来はゴージャスな、黄色~オレンジ~ピンクのグラデーションの薔薇だそうです。
ベストの状態で見たいですよね。

そして、再び登場するこの子。
ジュビレ・デュ・プランス・ド・モナコ。
繊細な見かけに似合わず、冬空でもきれいな花を咲かせていました。
真っ白な花弁に真っ赤なふちどり。
非常に特徴的なので、どこで見かけてもすぐわかります。
そして、人気品種なんだろうけど、わりとどこでも見かけます(笑)。
「おお、また会ったね!」
とかなんとか、意味不明な言葉をかけたりします・・・(汗)。

伊豆の踊子だと思う。
たぶん。

とっても気の毒なニコール。
凍えてしまってるみたい。
本当はですね、ものすごくきれいな薔薇なんですよ。
白い薔薇で、ふちどりがきれいなピンク。
上にあるモナコ大公に捧げられた薔薇のピンク・バージョン、とでもいったらいいかな?
ですが、見ごろの花がなくってね・・・(汗)。
ごめん。
次はきっと、あでやかな姿を撮るよ・・・!
●では、
またね。。。