もし自分だったら・・・

●ふええ

さっむいですねー。

朝晩ホント冷える。

なんかまだ師走のくせに、こんな本気にならなくてもいいのに。

ぐう。


拍手コメントやメール、ありがとうございます。

お返事できてなくってごめんなさい。


ようやく、というか久しぶりにブログのトップ画像を変更しました。

いちおうは今年のモミジです。

今年は残念ながら、ロクな紅葉に出会えていません。

あまり撮りに行ってない・・・だけが理由じゃない、と思う。

「秋の(紅葉)シーズンなのに、カエデが赤く色づいていない」

って記事を、そういえばちょっと前に読みました。

晩夏から初冬までの気候が不順で、それで木々のようすがおかしいらしい。

急に冷え込んだ後にふたたび気温が上がって、ちょっと変だったものね。







●昨日の

映画ね。

海難1890』という、もとはふたつの実話の映画化。

http://www.kainan1890.jp/

トレイラー(予告編)を見てしみじみ思ったのは、

「今の自分たちにこれができるのか?」

ということ。

なんかね、妙に考えてしまって寝れなかった(苦笑)。

日本の話も、トルコの話もどちらも。


外国の船が沿岸で難破して、大勢の死傷者が出た。

近くの村の人たちは一生懸命、救助と看護に尽力した。

そこまでなら今でも、どこでも起きる(できる)話かもしれない。

十分に凄いことだけど、普遍的な美談でもあると思う。

でもこの村の人たちは嵐の夜、命がけで人命救助に当たっている。

それだけじゃない。

自分たちも豊かではなく、食料も足りない状況だったにもかかわらず、

「非常用にギリギリガマンしてとっておいた」

という鶏までも、負傷した外国人たちのために供出している。

通常の善意の域をはるかに超えた献身、とでもいえばいいのか。

しかも見返りも求めず、後日「お返しを」という申し出があったのを断っているらしい。

それだけのことが、自分にできるのか。

今の日本で起き得るのか。

簡単に答えが出ないように思うのは、悲観的にすぎるでしょうか。


そして、その海難事故の95年後。

イラン・イラク戦争のさなか、テヘランに取り残された邦人が数百名。

停戦協定を破棄したサダム・フセインが、

「48時間後に、イラン上空を飛行する航空機はすべて撃ち落とす」

と、一方的な無差別攻撃宣言。

大パニックの中、欧米各国はただちに民間機の派遣を手配して自国民の救出に乗り出す。

が、日本は何もしない。

できないんだと。

(このあたりは自身の記憶にもある。うっすらと、なのですが。)

「日本だけ、自国民を助けるための飛行機を飛ばさない」

という絶望的な状況で、トルコが助けてくれるんですよね。

民間機を一機、追加で飛ばす。

あと数時間も残っていない状況で、トルコ人パイロットが危険を省みず志願して搭乗する。

空港にまだ自国民が残されているのに、日本人を優先的に乗せる。

「95年前の恩返しだ」

というけど、ここでもふと考えてしまう。

自分がトルコ政府の立場にあったとして、こんな決断ができるのか。

(=自国民の命を危険にさらして他国民を助けよ、という命令を下すことね。)

自分が空港で今か今かと救出の飛行機を待つひとりだったとして、

「ごめん、外国人を先に助けるわ」

と自国のパイロットに言われて、素直に納得して席を譲れるものか。

自分や家族が死ぬかもしれないのに?

そう考えるのは、自分が卑小にして利己的だからなのか。

人道とか、大義とか。

自己犠牲とか、正義とか。

せめぎ合う価値観の中で、極限状況の下、ただしい判断ができるものか。

というより、なにが正しい判断なのか。

それを選びとる自信はないなあ、などと考えてしまいました。







●もしかしたら

これほど凄い和解案件というのを、初めて見たかもしれない。

亡き娘に「ここまできたよ、と言いたい」遺族が涙、ワタミ過労自殺訴訟の和解成立

和解というと、どこかネガティブに捉える人がいますよね。

現実的な妥協。

落としどころ。

そうとわかってはいても、勝訴が見込まれる場合は特に、和解に応じる決断は難しい。

強制執行できる「判決」がほしい、という気持ち。

それは当然わかるから。

和解=弱腰とか、和解=敵との談合、みたいに感じる人も中にはいるしね。

でも、この和解案はすごいですよ。

1億3000万円を超える損害賠償という金額自体、破格だと思うし。

被告代表者の公的な謝罪とか。

和解案と謝罪文を被告の公式サイトに掲載する義務とか。

これからの従業員を守るための労使協定とか。

要するに、原告のほぼ全面勝利です。

こんなすごい和解、見たことない。

(損害賠償案件における)裁判所の判決って、究極的にいうと、「金で解決する」だけなんですよね。

AはBに○○円を支払え、って。

基本的に、そういう命令しかできない。

遺族に謝れとか、労働環境を改善しろとか、そういうことは言えないのです。

だから、この和解はものすごく意義がある。

原告の実現したいことを成し遂げるには和解しかなかった、といってもいい。

ひるがえって、被告の立場で考えてみると、

「よくこんな和解案を受け入れたなあ」

というのが正直な感想です。

※客観的な視点で見るとね(べつに被告企業に肩入れしてるわけじゃないよ)。

ブラック企業、という言葉が世の中に出回って久しい。

特にこの会社は、つねにその代表格に挙げられて来ました。

(非正規雇用が多いこともあって、飲食業はそもそもブラック色のつよい業界ですけどね。)

少しでもネットを見る人なら、ワタミがどれだけ厳しい批判にさらされているかはご存知でしょう。

そのせいなのかどうか、業績の低迷も深刻です。


おそらくですが、今回の和解案。

それを受け入れた背景には、経営判断の重要な転回があったのだろうと推察します。

これまでは、ブラック企業だという批判に真っ向から対決しようとしていた。

この訴訟に関しても、

「過酷な労働をしいていたことなど、とても認めるわけにはいかない」

という姿勢で対応していたのだろうと思います。

でも、そういう強硬姿勢がよけいに批判を浴び、よけいに客離れを引き起こした。

というより、この訴訟の継続自体が、ブラック企業の証拠のように見なされている。

「うちに落ち度はなかった」

と強弁し続けるよりも、潔く過ちを認めたほうがいいのではないか。

「たしかに悪かった。反省している」

と過去の過ちをみとめ、被告に深く詫び、

「これを教訓に今は労働環境を改善した。このような問題はもう起こらない」

と過去との決別をはかるほうが、会社にとって得策ではないか。

なにより、係争中の労働案件をなくす(終わらせる)のが先決ではないか。

・・・そういう発想に、切り替えたのだろうと想像します。

いわば、そこまで追い詰められたといってもいい。

ブラック批判が笑えないレベルまで業績を圧迫している、という現状認識。

それがようやく出来た、ということなのかも。

さて、これで彼らのイメージは改善するのか。

業績の回復にむけて舵を切ることができるのか。

今のところ、それは未知数ですね。







●では、

またね。。。


【08/12/2015 22:40】 オペラ・演劇・映画 | Comments (0)
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する
雑想記☆カウンタ
(counting since 3 Dec 2006)
Tokyo station clock
ゆすらうめ☆カレンダー
降順 昇順 年別 プルダウン

10月 | 2017年11月 | 12月
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
ゆすらうめ☆タグクラウド

お天気は?
プロフィール

藤乃めい

Author:藤乃めい
ロンドン在住の自称☆ヘタレ甘々ほもえろ字書き(兼エッセイ&レビュー書き)。別名=ましゅまろんどん。

2008年秋より、出向で六本木に島流し中。

純愛☆官能大河ドラマ『春を抱いていた』をこよなく、果てしなく愛してます(笑)。岩城さん至上主義。寝ても醒めても岩城京介氏のことしか考えられず、日常生活に支障が出ることもしばしば(爆)。・・・いや、マジで。

常に人生破綻の危機に怯えつつ、今日も愛の溢れる純文学☆ほもえろ道の探求に精進してます(笑)。

ブログ内検索
案内板




『春抱き』を大好きな方なら、どなたでもご自由にお持ち帰りください。リンク用バナーではありませんので、ご連絡不要。直リンクはご遠慮くださいね。
ブロとも申請フォーム